三浦瑠麗発言の何が問題なのかを語る。

 三浦瑠璃の「テロを計画した『スリーパーセル』が大阪にテロを準備して潜伏している」発言が炎上して大変なことになっている。テレビで謎の発言をしてネット界隈を震撼させた政治学者三浦瑠璃氏。ボクはあんまり三浦瑠璃氏の事をよく知らないんだけど、そんな僕ですら、三浦氏の発言には、口が空いてしまう程ビックリしてしまった。しかしその後の三浦瑠璃の弁解文を読んでまた腰が抜けるほどズッコケてしまったのだ。いろいろ論点が錯綜しているので、何からしゃべったらいいかよく分からないのだが。いや、その前に根本的に「なぜ三浦瑠璃氏の発言がここまで叩かれるのか」ということを少し考えてみたい。ひとえにこれは日本社会のリアリティの問題だと思うのだ。三浦璃々の発言がこんなに叩かれるのは、いまの日本の現状を鑑みても「テロリストが立ち上がり日本人をむやみに襲い始める」よりも「未然にテロリストを排除しようと立ち上がった自警団のような義憤に駆られた市民が、韓国人および日本人をテロリスト認定して襲い始める」想像の方がはるかに現実味がありそうだからなんだよな。もちろんそんな極端なことはない。ないに決まっているのだが、自警団気取りの一般市民が日本人韓国人を襲い始める。というイメージの方が何故か鮮烈に脳裏に浮かんでくる。それは、いっときの百田尚樹の発言、赤報隊の義挙発言。町議による「反日又裂き発言」。辻本清美に対する「工作員認定」の嵐。を眺めていると自警団のほうがテロリズムよりも現実にリアリティを感じてしまわないだろうか。
 結局この問題を一言で要約すると「テロリストが紛れ込んでいる」と市民に言うことで確保される「安全」と、同時に発生する「排外主義」や「デマ」、どちらが「社会の安全の害をなすか」、という問題だと思うのだ。僕は根本的にこの二つの可能性を切り離したらダメだと思うんですよ。もし三浦瑠璃氏の発言が市民権を得て、さまざまな有識者が「あなたの町にテロリストが潜んでいますよー」と声高に訴え始めたらどうだろう。おそらく市民同士が「あいつも工作員か」と根拠のないデマやヘイトを広げるそういう可能性も考慮しないといけない。第一、こういう流れは実際東北大震災でも経験してるんですよね。(東北大震災では中国人が体育館で暴れているデマが広がった)経験しているからこそ、警戒しなきゃならないと思うんですよ。
 三浦氏の意見に、多くの賛同意見・共感意見が寄せられていたのでこれも気になった。
 「警戒するのは当たり前だ。拉致問題を忘れたか。日本人が工作員に大勢連れていかれたんだ」という意見だ。でもこれも変だと思う。考えてみてくれ。たとえ工作員が紛れ込んでいると言われても、そんなふわ~とした情報では、わたしたちは何も対応のしようがない。何もしようがない。テロリストを探す? そういうのは警察や公安の仕事です。根拠のある情報をもとに警察や公安が調べて追跡するのであって、市民にそれを訴えても、むしろ実害の方が多いと思うんです。根拠不明のデマが大量に送り届けられ、警察もその対応に時間を食われる。テロリストだったら「やべぇ根拠不明なデマが流れて捜査がかく乱されてるラッキー」ってなりますよ。僕がテロリストだったら「やべぇ。三浦瑠璃に大阪に潜伏してるって言われちゃったよ。じゃあほかの県に逃げようか」ってなりますよ。三浦氏の発言で、逃げちゃう可能性だってあると思うんです。
 特定地域を指して情報源を明かさぬままものを言うのがOKなら「朝鮮人が襲ってきたぞ」っていう関東大震災もデマも肯定されることになる。それこそ緊急時の際に、パニックが起きる原因にもなる。安全保障の要である「市民の命を守る」という大前提が脅かされる可能性もあるわけだ。
 しかも三浦氏の発言は「大阪がヤバい」 「じゃあ市民はどうすればいいのか」
 それも教えてくれないわけだ。これじゃあ市民をただ不安にさせてるだけとしか思えないのだ。
 あと三浦氏の発言で一番「おかしい」と思った部分がある。それはのちの弁明文だ。三浦氏はこの弁明文の中で「私は在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います」と反論するのだ。
 わたしは、この文章を見てビックリした。黒目がひし形になるほど驚いたのだ。というより、ここに三浦氏の差別に対する大きな誤解があるような気がした。
 たとえば話し手として、聞き手がいる以上、どこかで曲解が生じたり誤解が起きたりすることは日常茶飯事であり、予測しうることであり、理解可能な事であるが、にもかかわらず彼女が自分の情報を曲解して「在日とテロリストを混同する」可能性を一ミリも想定していないのは、ちょっと驚く。しかも彼女は「在日とテロを混同する」と指摘した人間を差別的だと非難したのだ。 
 ものすごい倒錯がおこっている。流石にズレすぎである。わたしたちが三浦氏の言動を「扇動的だ」と非難するのはそれは差別意識からではなく、現に「まさに連想ゲームで誰かを工作員認定したり反日認定する世の中が現実として存在する」という前提の上に話しているからです。ツイッターを見れば、日本人に対しても「あいつは工作員かもしれない」っていう言論が飛び交ってる。そういう社会で、「テロリスト」と「在日」「日本人」と「スパイ」を緊急時に人が丁寧に腑分けして区別してくれる、と思っているのだろうか、この人は。そう思ってるんだとしたら、あまりに現実社会のリアリティが喪失してると思わざるおえない。三浦瑠璃の知的陥没は「人は緊急時の際にも流言飛語に惑わされず『日本人も韓国人もテロリストも一般人も』冷静に区別できるようなリテラシーと分別を備えている」。という無根拠な前提に立っているところだ。しかしその前提こそが、お花畑思考であり、安全保障を語るにはあまりにも現実味を欠いていている。と思わざるおえない。
 つまり扇動ではない。なぜなら「特定の民族を指していない」から。と思っているところが、差別の本質を何もわかってない人の考えなのだ。「日本人と韓国人も、テロリストと「在日」も一般市民には区別がつかない」のが差別扇動の恐ろしさなのだ。関東大虐殺では、歴代天皇陛下の名前を列挙しろと言われできない人は襲われました(40人以上の日本人が亡くなったと言われています)。冷静さをうしなった人間に、そんな区別、つくわけないでしょう。
  あとこういうコメント(三浦瑠麗を擁護する人々)を見て吃驚するのがそれぞれが抱いている「わたしは日本人である」「”日本人”だということに対する」無根拠な自信だ。あなただって工作員と言われるかもしれない。スパイかもしれない。
 テロの不安をあおる三浦瑠麗こそ北朝鮮の政権を維持しようとするスパイかもしれない。三浦瑠璃の発言を擁護する日本人もまた彼女と同様に工作員かもしれないのだ。でもそれも決めつけであり偏見でしょう。三浦瑠麗を擁護してる人の大半が「工作員がいるのは本当じゃないか」みたいな感じで擁護してるのが、まさにデマの深刻さ危うさを物語っていて、つまり自分の信じたい物語であれば根拠不明でも「なんとなく本当かも」と無根拠に信じてしまうというのがデマが流布する最大の原因なのである。三浦瑠麗氏の発言の情報源が曖昧でも「人はその情報を信じてしまう」証左である。と思った。
 あいつも工作員じゃないか。こういう相手に対する裏付けのないデマが広がって本当に「生存につながる貴重な情報」が埋もれてしまう可能性もある。市民の命を余計危険にさらすかもしれない。そういうことも考えないといけない。
 こうやってデマが広がりやすい世の中で「在日認定」「工作員認定」がまかり通っている現実があるにもかかわらず、なぜかそういう日本人のことは批判せずに、差別的な扇動だと批判する日本人を差別的だと批判する。これっておかしくないだろうか。三浦瑠璃氏の発言で関東大虐殺が起きるとは思いませんけど、「日本人である」という確信だけで「工作員」認定する社会が現実に存在する中で「潜在的なテロ市民がいる」ということのリスク。それによって起こる風評被害やデマについての予防対策。それについて彼女がとくに何も語ろうとしない点。自分の言葉が扇動に当たらずそれを批判する人間が差別だと倒錯を起こしている点。しかもデマや風評を流す人間への批判が一切ないというのが、不気味でしょうがないんですよね。僕は。そっちの方に驚いた。それこそ安全保障の議論にすらならないと思うんだけど、まあ三浦瑠璃氏の発言で差別の問題を一考することができたので社会にとっていい意味があったけども。

 

 

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