何か、今、足に自己反復的に、起きろと、念じて、生きるパワーを全部、足に集中させても、
全く足が、立たない。更に、世の中を、恨んだ末に、自分の中で、研がれた牙を、社会に向ける人”も、最近、増えた。気がする。そんなニュースを度々、訊いて、凹むことが、増えた。
平日の昼間っから、朝、バイトに行く時しか人と交わらず、其れ以外は、ずっと家の中で、テレビを見ている私だが或る日、テレビを付けたら、結構鬱になる特集をしていた。例の安倍晋三氏の、暗殺事件だ。
そのぐらい、自分にとって此の事件は、衝撃だったのだが、で、更に驚いたのは、此の犯人は、自分と、何か、身の上が、似ていて、他人事とは思えないことだ。此の事件をめぐって、色々な人が色々な考察している。格差とか、政治と宗教の癒着だ、とか、色々と巷間語られている、そんな中で、ワシが、一つ思ったことが、此の犯人の、母親だ、此の犯人の母親は、宗教にのめり込んで、夫の自殺で生まれた、心の隙間に入ってきた統一教会によって、家庭が崩壊してしまった。と言われている。
果たして、この問題を引き起こした根源は、何か、と考えていた時に、ワシが、ふと思い出したのが、イギリスのことだ。先日、或る本を読んでいて、あっ、と思ったのだが、イギリスは、何年か前に、孤独省を作ったんです。訊いたことがある人もいるだろうけど、此の孤独省が、生まれた切っ掛け、が、非常に面白いというか、実は、此の問題と、結構リンクしてるんじゃないか、と思ってて、実は、此の孤独省は、元々、イギリスの国会議員が、自分の政党に投票を呼び掛けるために、戸別訪問で、各所を、訪問する中で、孤独な人に多く遭遇したことが、切っ掛けに、生まれたものらしい(孤独先進国イギリスの取り組み)世界を見渡すと結構日本以外の国では戸別訪問が、存在していて此の、イギリスの例を見ると、戸別訪問こそが、人が孤立に陥ってる状況を、肌感覚で、知る、大きく、有用な、システムになっているんだ。
日本では、買収の危険から、戸別訪問が、昔から禁止されている。そのとき、ワシは、思った。日本の孤独の問題が「不可視化」されやすい最大の問題は、本当なら、政治が真っ先に気付く場である”戸別訪問”が、存在しないから、なのではないか、と。
更に、本当なら、政治の手で、気付いてあげられるはずだった山上の母親の、追い詰められた身上を、政治が何よりも早く気付いてあげるべきだったのに日本では、本来ならば戸別訪問で気付くはずの、孤独を、”宗教”が、埋めているのではないか。と、
この事件を知ると、”戸別訪問”が存在しない日本のシステムが、如何に、胡散臭い宗教の、苗床となってきたか、が、良く分かる。
で、何が言いたいかと言うと、ワシは、戸別訪問を何とか、制度的に、復活。できないか。と、思っている。直接家に行くんじゃなくても、買収防止のために、電話でもメールでも良いと思う。社会に、自分の役割を見出せず、行き場を失った人たちの窮状を戸別訪問で、知ることが、日本の、喫緊の課題だ。