文学夜話第6夜。「沈黙」遠藤周作

 ニートになると、結構やることが多い。本を読んだり、バイト探したりブログを更新する暇がなかったりする。とくに最近、小説ばかり読んでいるんだが、名作小説は、つまらないものに当たると無駄に時間を消費することが多い。ところがついこないだ映画化された遠藤周作「沈黙」を読んだら。これがまた久々の超面白い名作であった。むちゃくちゃ面白い小説だったので紹介したい。

 まー。どういう話かというとね。フェレイラ神父っていうエライ神父さんがいたわけ。その人がひとりで日本に向かっちゃうのである。「信者救いに行くわ」つって、颯爽と。潔く。生徒たちその後ろ姿、見ながら、「かっこいいいいいいい」ってなるんだけど。しばらくたって、向こうの伝来から「拷問キツイから信仰辞めるわ」って連絡が来て、そういうズッコケからはじまって、オレたちも日本に行こうぜ!ってことで、この始まり方が、とにかく最高なのである。
 それで日本に行くぞってなったんだけど、その神父たちに悪代官イノウエが襲いかかるわけ。このイノウエが怖い怖い。神父達を苦しめる悪代官。フツーのおジイちゃん。なんだけど、冷酷。かつ論理的にキリスタンを血祭りにあげる悪代官で。やってることはサイコでも、ちゃんと筋の通った思想をもっていて、しかもなぜか元キリスト教徒、っていう、こちらの世界を一回見わたしたバイリンガルです、みたいなキャラクターで「穴吊り」とかいう(遊び心に満ちた)拷問もしかけてくる。とにかくこのイノウエは、風格ありまくり。この小説において、悪の華ともいうべき存在感をはなっていて、キャラ立ちまくりなんである。
 そんであっさりイノウエにつかまっちゃうんだけど、ご飯までくれるイノウエ。なぜか拷問もされない。あれ、イノウエ優しいやん。って思ってたらフェレイラ神父と再会するわけ。でも。なんかおかしい。いつもと様子が違うって、よく見たら、和服きてる。しかも周りから「沢野さん」って名前で呼ばれてて、「え!?・・・た、沢野さんwwww 沢野さんってどういうことですか?沢野さんってどういうことですかwwww」ってつめよったら、「うるさい。あんま沢野さんさん沢野さん言うな」みたいな。本人が一番気にしてるみたいな。 しかもキリスト教を捨てて反キリスト的な活動に準じていたフェレイラ。あのフェレイラ神父がなぜ!?・・・っていう。実はイノウエ、フェレイラに「棄教しろ!」と詰め寄ってほかの信者を拷問していた。その戦法に、最初はフェレイラも耐えてたんだけど神に祈るうちに「あれ? こんなに罪のない人がやられてるのに、神様が黙ってるっておかしくない??」「なんか一言ぐらい「がんばれよ」とかフツーあるんじゃね?」みたいな根本的な疑念にとりつかれて、キリストを捨ててたの。そんで「さぁ踏めぁああ」って主人公も踏み絵のまえにたたされて・・・。神様ーーーー!!!!!!って、思いながら、拒んでたら、そのときにどこからともなく「気にしないでええ」みたいな。えー・・・キリスト様ですか!? いんですか?ってきくと、「別にいいいよおお」みたいな。いやー、そういわれて、あぶなかったー。ギリギリなんとか踏めました。あぶなかったっす。みたいな、・・・まぁ、そういう感じで終わっていく小説なんだけど・・・。
 反キリスト的な行動を強いられる主人公の生活がマーティンスコセッシの映画では、原作よりも「だらだら」と描かれていて、そのだらだら感が原作よりも絶望的でよかった。イッセー尾形の原作の井上より怖い。役者陣がとにかく素晴らしく、映画も文句なしに傑作だった。
 でも、このハナシ結局、何が言いたいのかよくわからないでしょ。

 「深く考えさせられた」みたいな薄っぺらい感想しか湧いてこず解釈に戸惑った。

 遠藤周作は何が伝えたかったのか。いや、これ俺の勝手な解釈なんだけど、実は、この小説、日本人に対するアイロニーが込められているんなんじゃないかな。と思った。作中で日本人が「カタチだけでいいよお」という言い方でキリスタンに「棄教しろ」と迫るわけ。つまり行動は規制するけど内面の信仰は自由やと迫る。でもキリスタンにはそれが理解できない。内面と行動は表裏一体だから。こと信仰に関しては、内面と行動が矛盾するのは西洋人には理解できない。ここに遠藤周作の問い掛けがある。なぜ日本人は、西洋人に理解できない内面と矛盾した行動がとれるのか。表向きの「タテマエ」がやたら強調されて、日本人はそれにペコペコと従えるのか。天皇のご真影に頭を下げろ、と言われたら頭を下げる。戦争反対を言おうにも周りに同調して戦争に協力する。子供には死んで欲しくないのに「バンザイ」と言って家族を戦場へ送り出す。死にたくないのに特攻に行く。こういう『ホンネを封殺して「タテマエ」だけに従う姿』が小説の中で痛烈に皮肉られている。
 つまり心の「ホンネ」が封殺され表向きの「タテマエ」が過剰に強調され始めたら、それは日本が滅びる寸前の傾向だから気をつけろ。という遠藤周作の警告が込められているのではないか。本音や信仰を告白できず「タテマエ」に盲従し始めたら、日本は坂道を転げ落ちるように転落するぞ。という戒めが込められているのではないか。
 まー、そんな堅苦しいことを考えてしまったのだがそんなことを考えなくても、十分おもしろいので春の読書日和に読んでみてはどうか。

 

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