意外にデビュー当時は不遇だったアガサクリスティーのボツ時代。

しかしボツって辛いよね。僕も昔、漫画を投稿していて渾身の力作が、何度もボツになってますから、ボツの苦しみは痛いほどわかりますよ。ほんと、自分を全否定されたような。あの感じ。『お前のもんを面白がってるやつはお前だけ!!!』ってものすごい高みから言われたような。すさまじいものがありますよね。あれは。サラリーマンやっていて、仕事に生きがいはないとか、専業主婦だけど、私の人生こんなはずじゃなかった、とか日ごろ思っていて、自分を満たしてくれるのは小説だけだって人は、とくに辛いんじゃないでしょうか。どこにも自尊心の逃げ場がないですからね。
 そんなボツにあって苦しい時期のときに、慰められるのって、結局、歴史に名を残している人も、最初は相手にされてなかったんだっていうエピソードしかないと思うんですよね。僕もそういうエピソードには大変勇気づけられましたから、今日はちょっとそれを実感させてくれる本を今日は紹介しようとおもいます。

 筆頭に上がるのは、アガサクリスティーですね。彼女はすごいですよ。なんというか、今はそりゃもう燦然と歴史に名を残す作家ですけど、若いころは、あんましイケてません。というか、自伝とか読むと、ただの少女ですね。どこにでもいる。作家的素質は、若いころからすでに開花しているってどっかの作家が言ってましたけど、このアガサのおばあちゃんに限っては、なんか、そうでもないような気がするので、たいへん勇気づけられます。

 

アガサ・クリスティー自伝〈上〉 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アガサ・クリスティー自伝〈上〉 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

  

 わたしの書いた初めの小説は、けっして傑作ではなったが、まぁ全体としてはいいほうだったとおもう。わたしの書いたそもそも最初のこの作品は、全然将来に期待を持たせるようなしるしはなかった。素人っぽい書き方であったのは言うまでもないこと、その前の週に読んだものすべての影響をあらわしていた。―――その後、わたしはまたいくつかの短編小説を書いた。これらの短編をわたしはあちこちの雑誌へ期待をこめて送りつけた。わたしはあまり成功の望みも持っていなかったし、また成功もしなかった。短編は全部、例のおなじみの、「遺憾ながら編集者は・・・」という紙片つきでただちに返送されてきた。そこでわたしはもう一度包み直すと、それをまたべつの雑誌へ送り付けた。

 
 これはアガサクリスティーが20歳のころです。大変勇気づけられますよね。一度落ちたのをまた推敲もせず、べつのところへ送っちゃうところもすごく少女ですね。

 その後アガサは、実家の近所に住む大作家に自分の小説を「どうですか?」って見せるんですね。そんで、「うーん、まぁ、いんじゃね」ぐらいの可もなく不可もなく的な微妙な返答をもらって、その作家を通じて、編集者を紹介してもらえるんですが、その編集者に、「もうこの小説のこと考えるのやめて、別の小説書いたら」っていう言い方で原稿をつっ返されるんです。そこでアガサはついに根が尽きて、「やーめた、やめた。才能ねぇわこれ、小説は趣味で終わらしとこ」って、努力を放棄しちゃうわけです。
 そんでもって、実家が結構な金持ちですから、そっから音楽やったり、ダンスやったり、まぁ、好き勝ってに遊び呆けて、そんで結婚して、まぁ、ありがちな結婚生活送って、戦争になったりして、小説のことなんか、どっか隅の方にいっちゃうんですよ。ところが、病院の薬局で働いてたんですけど、そこの仕事が、めちゃくちゃつまらなくて、そこでやっと小説でも書いてみるか、となり、家に引きこもって、渾身の力作を書きあげます。それを出版社に送りつけるんですが、

抜粋
 
 出版社へ送ったが、返送してきた。無造作な断り方で、一片の紙片もつけていなかった。べつに驚きもしなかった。首尾よく才能されるとは期待していなかったら――だが、わたしはまた別の出版社へ包んで送り付けた。

 

  こんな感じなんですね。しかもまた推敲もせず別のところに送っちゃうところが、いい具合にダメ―な感じが出ています。しかし、こんだけ落とされて、少しもへこまないのは不思議です。事前に落ち込まないように「どうせ落ちる、どうせ落ちる」と自分に言い聞かせて、心の負担を軽くしているように思えますね。というか自分がまさにそんな感じなので、ほんとはちょっと、いやかなり、へこんでるんですよ。こういうタイプは。
 このあとでアガサクリスティーがどうのような経緯を経て、作家になったのかは、本書を読んで確認してください。ものすごーく地味ぃ~にこのあとデビューします。大作家もこんなもんなのね、と思わず、微笑んでしまうこと間違いなしです。

 他にもこんな人はいっぱいいますね。安藤忠雄なんかもそうだし、萩尾信子は十回目の投稿でやっとデビューできたって言ってたし、ブコウスキ―なんかは、もう下積み作家の代名詞だし、東野圭吾も若いころは後輩に小説見せて、感想も言ってもらえなかったらしいですからね。白石 一文だってこれなんか読むと、相当憂き目にあってますから。かと思えば、三並夏とか綿谷りさみたいに15や17そこらでデビューして、いきなりスカウタ―MAXみたいなやつもいるでしょ。いったい何の差があるのか? さっぱりわからんですね。投稿されてはボツになり、苦心惨憺の末、デビューできて、はたしてそのデビュー作が具体的に、いままで落ちてきた原稿と決定的に何が違うのか。本人にもわからないんじゃないですかね。 矢沢永吉が売れてないころ、自作のデビュー曲「アイ・ラヴ・ユー、OK」を持ってデモテープを音楽会社に持ち込んだら編集者に「売れない」と冷たく断られたらしいんですけど、ぼくが編集者でもそりゃ断りますよ。だってタイトルが「アイ・ラヴ・ユー、OK」ですよ。絶対ダメじゃないですか。しかもあのテンション、「俺はいいけどYAZAWAはどうかな?」みたいなテンションで来るんですよ。それでタイトルが「アイ・ラヴ・ユー、OK」でしょ。もうニュートリノぐらいの早さで「あ、これ絶対ダメだわ」って普通なりますよ。誰だって。でも後年、この曲は、もう矢沢の代表曲になってますからねぇ。何がヒットするのかなんて、ほんとにわからないですよ。これは。