先日こういうツイートを見かけた。
幼少の時から本を読んだり活字を見たりする習慣がない人は何を読めばいいかわからない。という現象がかならず起きるらしい。こういう人に、僕は本好きの一人として言いたい。
ならば「本を読むことについての本」を読みましょう。
そもそも、なぜボクは本を読むのか。と考えてみました。正直「劣等感を晴らしたい」が大半を占めるような気がします・・・。同世代のやつらが「海だ!恋だ!青春だ!!!」みたいなことになっているのを涼しい顔で眺めながら「はぁ、海だの恋だの青春だの何が楽しいのかね・・・まぁオレはオレですることがあるし・・・」と虚勢を張って、確実につきまとう劣等感を、読書で晴らしている、という感じがどうしても否めないのです・・・。
書評家の豊崎由美氏がなんかの雑誌で「あたしが小雪みたいなルックスだったら本なんか一冊も読んでない」と言っていましたが、これはかなりドキっとする発言で、ぶっちゃけ自分も、女の子と海とか行ってあそべるスキルとかもってたら本なんて一冊も読んでねぇ自信があります。でもそんなことできるルックスも度胸もキッカケもないので、仕方なく本でも読んで、その世界に没入することで、人生楽しんでるやつなんか「ケッ」と見下したいというか、モテない空白の時間を読書で埋めて、向こうに勝ちたいみたいなところがぶっちゃけあるのです。これがゲームとか漫画だったら絶対勝てないけど、読書ならなんか勝てるような気がしちゃう。世間的にも聞こえがいいし。奥深いしね。はっきり言って、モテるやつは本なんて読まない。モテないやつほど、よく本を読む。ボクみたいな、ちょっと常軌を逸すほどモテないやつにとって読書は自尊心の唯一の保養地になりつつあり、それゆえ、にわか読書家がよくやりがちな「たくさん読んだ自慢」を隙あらばめちゃくちゃしたくなるのです。だって、そこしか他人に勝てるとこがねぇんだもん・・・。
18から22歳にかけて、ボクは一年で250冊以内という基準をたてて、本を読破してきました。書評家の永井朗は20代の頃、一年に200~250冊読んでいた、と言っていたのでそれを目安にして読んでいくうちに、いつのまにか1100冊という大台に突入していたのです。これは多いのか少ないのか・・・。東大生スレッドには20歳で5000冊読んだという猛者もいて、立花隆なんか小学生の時に図書館の本を全部読んだという逸話さえ残っています。正直、こんな本狂いには勝てませんね。歩くライブラリーです。
そこでヘッセおじさんです。
ちなみにボクは、このヘッセおじさんの本は人生で一度もからっきし読んだことがありません。「車輪の下」も「デミアン」も買ってはいるが凄まじく積ん読してあります。でもなんか偉い人って感じはするので、こういう本を読んで、偉人の読書とはどんなものか興味を持って手にとってみたわけなのです。
- 作者: ヘルマンヘッセ,フォルカーミヒェルス,Hermann Hesse,Volker Michels,岡田朝雄
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2004/10
- メディア: 単行本
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読み始めていきなりちょっとびっくりしたのが、ヘッセが生涯で一度も新聞というやつを読んだことねぇ、って言ってるところなのです。学生時代から今に至るまで一度も新聞を読んだことない。今後も読むことはないし、新聞なんか読むぐらいなら、ほかのことしたほうがマシってズバッと言い斬っているのです。
今この論説を書いてる私は、学生時代以来一度も規則的に新聞を読んだことがない。新聞を読まないからといって貧しくも愚かにもなったわけではなく、数百数千の時間を、新聞を読むよりずっとマシなことをするために残しておいたのである。
新聞は書物の最も危険な敵の一つである。それが少額の料金で一見したところ多量の記事を提供して、読む者に過大な時間とエネルギーを要求するからだけでなく、むしろ新聞は個性のない多種多様な内容で何千人もの読者の趣味と、新聞を読むだけにはもったいないほどすぐれた読書能力をスポイルするからである
このように新聞へのやつあたりが尋常ではありません。
正直、ボクも新聞なんてテレビ欄ぐらいしか真面目に読んだことないので、ここのくだりは非常に好感が持てたのです。石田衣良さんがなんかのインタビューで「物書き志望で新聞読まないやつはダメ」って言っててボクはそのとき、恐れおののいたのですが、ヘッセが、あの偉大な作家ヘッセおじさんが新聞読まないって言ってるんだから、ボクも読まなくてもいいよね・・・って。
ところがこういう箇所でいっときの自己肯定感を得たのだが、読み進めていくと叩かれるようなイタい箇所で出くわします。
乱読者はクソ。
そもそもよい本とよい趣味の敵は、本を軽蔑する人や字の読めない人ではなくて、乱読者である。
むちゃくちゃ言ってます。なぜヘッセは乱読者をこんなにディスるんでしょうか・・・・。
「せかせかと休みなく読み、いたるところでつまみ食いをし、いつもただ最も刺激的なものと、精選されたものだけを得たいと望む人は、まもなく表現の様式と美しさを理解する感覚をだめにしてしまうであろう。このような読者は抜け目のない専門的な知識をもつ芸術愛好家という印象を人に与えがちだが、たいてい読んだ本の筋だけとか、くだらない、風変わりなことを記憶しているにすぎない。むしろこのような落ち着きのない読み方をしたり、始終新しい本を追いかけたりするよりは、まったく逆のことをする方が、つまりかなり長い時間をかけてあるひとりの著者の作品とか、ある一つの時代の作品とか、ある流派の作品を読みつづけることの方がはるかに好ましい!
これは、もしかしてオレ・・・・・・?。
いや、でも乱読ってほど読むわけじゃないし、あー、でもなんか確実に心がちょっと痛んできますな・・・。とくに「せかせかと休みなく読み、いたるところでつまみ食いをし、いつもただ最も刺激的なものと、精選されたものだけを得たいと望む人」とか「たいてい読んだ本の筋だけとか、くだらない、風変わりなことを記憶しているにすぎない」とか、まさに自分の特徴を見事に言い表してますね・・・。読んだ本なんか、たいていどうでもいいところとか、あらすじしか覚えてねぇよ・・・。
そしてさらにダブルパンチをくらわすこの言葉。
奇妙なことに、立派な教養をもった人でも、自分の趣味の文学についてはひどく恥らいながら、自信なさそうに、遠慮がちに話をするものである。
あぁー・・・うーー・・ん・・・・これは、なんとういうか・・・
こうやってブログで書評して、「読まない奴はバカ」とか思いっきり傲岸不遜に言ってるボクなんかものすごーく浅いやつってヘッセおじさんには思われるのかな・・・。遠慮なんかまるでないですからね・・・。もう自分の趣味なんか、恥ずかしげもなくあけっぴろげにしてるし・・・。自信なさげなところなんか皆目ねぇな・・・。もしかして、いやそんなこと絶対思いたくないけど、ボクって小物なのかな・・・。
「そもそも私たちが必ず読んでおかなければならない、それを読まなければ幸福にもなれない、人間形成もできないというような本のリストなどは存在しないのである」
「百冊の最良の本とか、最良の作家とかは決して存在しないのである! すべての人に承認される決定的に正しい批評など存在しないのである!」
「私たちは、推奨されて、読み始めても気に入らず、読み続けるのを妨げ、その中に入り込ませようとしない作品を、無理をしたり、我慢したりして読み通そうとするべきでなく、そういうものは放棄すべきである。それゆえ、子供やごく若い人たちに、過度に本を読ませようと激励したり、強制したりしてはならない」
いや、これはその通りなんですけど、ススメたくなる気持ちもムカつくほどわかりますからねぇ・・・。
というか、こんなこと言っときながら、ヘッセおじさん、本の後半では世界文学リストがしっかり載せてます・・・。
プラトーンとか、ホメーロスとか、ダンテとか、常軌を逸すほどハードな本がずらーっと並んでいる・・・。あんたこれ、あんに読めってことだろ!!
けれでも読者においては、とにかく読者が世間一般の評価と同じ評価をすることが重要なのではなくて、読んで楽しみ、自分の心の財産にもうひとつの新しい、大切な財産をつけ加えるということが徹頭徹尾重要なのではないだろうか!
ものすごいフツーのことを言われてしまいました・・・。
賢人に聞いときながら最後の結論は「楽しい本を読もう」です。
当たり前じゃボケぇ!!!
そんなことわざわざビックリマークなんかつけんでもわかっとらああああ!!!