~引きこもり60万人の衝撃~引きこもり歴10年の私が、引きこもり中高年の「一人で死ね」論争について思う事。

 

 

 最近、引きこもりの数が、60万人に増え、今日本は完全に「引きこもり」が、深刻な社会問題となっている(川崎の児童殺傷事件や長男刺殺事件で)更に『ひきこもり』が過剰に報道され、お茶の間のワイドショーが中高年の「8050」問題に独占されていたが。

 私はある不安感を持って眺めていた。何を隠そう、私自身も、引きこもりである。
 私は現在、29歳で、引きこもりで、大学を中退して以降、ずっと引きこもりである。厳密にはバイトしているので引きこもりには当てはまらないが、家族としか毎日喋らないので、引きこもりに毛が生えた状態である。

 そもそも私が引きこもり始めたのは大学一年生の頃だ。親の言うとおりに大学に入ったものの一日目の講義の場所が分からず欠席してしまい、それ以来、大学に行くのが億劫になり、

 大学を辞め、一日中、ただ寝ているだけの人間になってしまった。それが20代の前半期の頃だ。

 

 だから、引きこもりが何か殺人者のように報じられるごとに、非常に気まずいというか、自分もある種の狂気に変貌する「瞬間」があった事を思い出したのだ。

 

それは引きこもりを脱却すべくバイトを始めた時の事。対人恐怖用のワシは、人生で初めて(スーパーの鮮魚部門)をやることになった。が、この職場が、超地獄だった。狭い密室で二人きりで寿司を握り続ける状況下も酷かったのだが、おばちゃんが更に高圧的なタイプで、ワシはこのおばちゃんに、何度も、人の話は聞かないだの、叱責され続けていた。最初はガマンしていた、が、寿司ネタをある時間違えて質問した時「自分で考えろ」と言われた瞬間、何かが切れてしまい、そのとき私は本気で、
 この店を燃やそう、と思ったのだ。最初は頭に沸いた空想だったが、おばちゃんに復讐できると思うと日増しにそれが膨れ上がり本気で実行する5歩手前ぐらいまで行った、あのときワシは思ったのである。人間は、まともな状態の方がかえって異常で、人の正常な状態は「犯罪」なのだ、と
 しかし、私はギリギリのところで「放火」という決断をすることはなかった。
 家に引きこもり、本を読む事で救われたからだ。引きこもり続け、私は本を読み始めた。


 そのとき私が最も影響を受けたのがバーナンドラッセルの「怠惰への賛歌」である。 
 この怠惰への賛歌で、ラッセルは引きこもりを手放しに、礼賛するわけや。
 ラッセルは、金持ちが資産を移したり法人税を払わなくても、引きこもりより叩かれないのは庶民の奴隷道徳だと言い、本来の「働かざる者」や「怠け者」は、引きこもりではなく、税逃れする金持ちだと言う。こういう価値が転倒する様なラッセルの言葉に私は影響された。すご~く影響された。そして自分を肯定するような本を益々探すようになり、家に引きこもり、自分の内的世界に閉じこもり、「本」に救いを求めるようになったのだ。
 そのラッセルの次に影響を受けた本が、斉藤環の「引きこもりライフプラン」だ。
この本は異色だ。引きこもりの自立を促すのが、引きこもり自己啓発本の特徴だが、この本は、初めから「引きこもりの自立を諦めろ」と訴える、その点が斬新。更に凄いのは、引きこもりに「社会に出ろ」と言わず、代わりに、引きこもりの両親に、終身保険に加入しろ!と言うのだ。
 つまり引きこもりの子供を、生命保険で食わせろと提唱するのである。
 また自宅を担保にしてお金を借りる制度「リバースモーケージ」を利用にして、賃貸併用住宅にしろ。とも提唱する。親が死んだ後も、引きこもりが「大家」になって賃貸収入を得られるからだ。こういう資産を運営して「親亡き後も、引きこもりを賢く食わせろ」と説く。

 

  私は、こういう本のおかげで、紙一枚「狂気」に陥らずに繋ぎ止められてきたのである。

 私が、何とか「狂人」に陥ることがなかったのはこういう「引きこもりでも何とかなる」的な本に救われてきたからだ。
 

 
 だが、世の中には松本の「不良品」発言にあるように、明らかに社会に適応できない人への偏見が蔓延っているように思える(「一人で死ね」もある部分で、これと同じ発想なんだと思う)つまり殺人者は生まれつきのモンスター(サイコパス)なんだから、一人で死ね(社会が包括するのは無駄)ということが言いたいんだろう。
 だが、この意見は、完全に間違っている。犯罪学の歴史を知れば、すぐ間違っている事が分かる。実は、こういう議論は、ずっと昔から、されてきたわけ。遺伝子的な犯罪者は欠陥なんだから社会が包摂する必要はない。と主張する人が居て、一方で、犯罪は貧困で生まれるのだから助けるべきだと言う人も現れ、この二つの論争が、何世紀にも渡り、ずーっと繰り広げられてきた。


 そもそも犯罪者は「遺伝的欠陥」であると言い始めたのは、松本人志ではなく、精神科医のロンブローゾって人だ。この人が「骨に異常がある」と言い始めて犯罪者は遺伝子欠陥である「犯罪者生来説」が広まった。ところがこれに対し「環境派」が登場する。環境派は、「犯罪の温床は貧困だ」と主張して、生来派、ロンブローゾをコテンパンに論破してしまう(骨に異常があるケースが普通の人にもあったからだ)
 環境派は勝利し、環境派の優勢は続いた。更に犯罪率の高さを調べると、貧乏な地域の方が、犯罪率が高いと言う事も分かり、環境派は、さらに幅を利かせた。ところが、21世紀に入ると。脳科学の進歩により、犯罪者の脳に「共感を全く感じない」(共感性を育む前頭葉と側頭葉の脳機能)が低下している事が分かってくる。「生来派」が息を吹き返したのだ。コレを主張した一人がジェームスファロンや。ジェームズファロンは、犯罪者の脳をスキャナで調べ上げ、犯罪者の脳機能が低下している事を示したのである。
 「生来派」は再浮上、・・・一気に「環境派」を駆逐する・・・かに思えた。
 ところが・・・ここから凄い事が起きる。ジェームズファロンが仕事中にある人間の脳のスキャンを観察していたらしい。それが殺人鬼の特徴を余りにも典型的に表していたので、ジャームズファロンが「殺人鬼の脳だ」と断言したら後日。その脳のスキャンが、実は、ジェームズファロン自身の脳のスキャンだったと言うことが判明w
 ジェームズファロンは衝撃を受ける。もし犯罪者が遺伝的に決まるのであれば、まさしく彼自身も暴力的人間にならなければならない。が、ジェームズファロンにはこれといった暴力癖も犯罪歴もなかった。ジェームズファロンは、考察する、その理由は、遺伝子が特異でも、育った環境によって(親の愛情如何によって)、その特異性が減退したりする可能性があると。
 こうして犯罪学では現在「生来派」「環境派」は「引き分け」となり、生まれか育ちの判定において双方を平等に認めるようになったわけや。シリアルキラーの発生は「生まれと育ち両方にある」という事で現在落ち着いているのだ。
 だから突発的な殺人事件が起きたとしても、社会とは何も関係ないと言うのは、早計だし、完全に間違っている。殺人の衝動を抱えた彼らを適切に包括すれば、その「悪」の部分を抑えたりする可能性はゼロでもないと思うんや。
 
 来週、お笑い番組が見たいなぁ。と思えば、人は殺人を思いとどまる可能性がある。国家が、結婚しやすい制度を整えれば、子供の顔が浮かんで、殺人を思いとどまるかもしれない。
 
 
 人間が、同じ人間を殺す状況があるのであれば、そのような状況の発生こそ、まず防止すべきだし、あらゆる人間への包摂は、不可能であるが、幸せな社会は、その不可能なものへの挑戦なしに、築けないと思うからだ。
 
 
 引きこもりの問題を見ながら、そういうことを感じたのである。
 

 

 

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