ワード①

しかしこのことによって同時に、多種多様な研究を議論とを不当でない仕方で整約しようと試みる方向づけは、いずれも比較にならないほど困難になってしまった。



そして科学と技術との主張する支配要求と、それらと結びついて、さし迫ってきた現代の歴史喪失性とに対して、彼は「想起の真理」を守って戦うのである。



ところで、それにちょうど適切な入口というものが見出されるのは、ただ、思すいがはっきり証示されるとともに、同時に生き生きとした活動状態にあるところ、すなわち、止水が、其の隠れた状態から外に現われて、来て「同意」となる、そういうところだけである。



自己自身の原因となるもの「神」を持ち出すことによって因果律を停止させることが、まったく「災害」である



歩みと緩急、ざわめき、危険と安全、種々の感覚と想い、これらがとりまとまめられ、そして「下山」と呼ばれる或る新しい統一の中に移される。



中国が攻めてくる。日本人が難民になる可能性。



主観を交えない「中立性」を楯にしてウクライナ

の犠牲が前提になるならば、それは「中立」とは言えない。



「強制」と「志願」を区別できない。



あるイデオロギーを撲滅することは、それ自体、また別のイデオロギーの表現ということではない。



深淵ということではない。つまり分断し遠ざけるがゆえにそこに架橋を必要とするような、そういう深淵ということではない



このような欲望が「自発的」か「誘発的」かという区別はあまり重要ではない。供給の限界が次第にはっきりしているときに、成長はやがて自動的に止まるだろうなどと信じるのは、愚の骨頂としかいいようがない。



杉田水脈の教育勅語ツイート。これ、全く逆です。

政治家が徳を語るのではなく、国民の側が、政治家(天皇含め)に義務を指示し、モラルについて述べ、我々にしてほしくないことを(権力側)にするなと、命じる声があると言うのが民主主義です。其の感性は、悩あなたが政治的に無能なしるしなのだ、とこういっても差支えないと思います。





文化のような直接商品と関係のない活動は「劣等」だと考えられて、そのための時間はかえって減少する。



しかし他方、公害防止機器産業、新しい技術開発が、雇用の機会を増大させる。



所得の不平等な分配とそれによって生じる

社会各層の購買力格差によって歪められてしまう。



そして彼は重要な産業については「公害値札」を計算すべきだと主張している。



彼らが自分達が思想を持ち、判断し、意見を述べる能力のあることを無視されることにもはや我慢できなくなってきている。



「小規模な自給自足的生産単位」



彼らが義務として縛られない場合はいつも、マタイによる福音書七ノ一の言葉、の一つのありがたい免除として解釈すべきだ。



こうすることによって、きみは、きみの十分知らない事柄について軽率に判断を下すことも避けるだろう。



今日もっとも教養のある人達が、とくに大学関係の人たちが、「自分はそんなもの知らない」、と公言する勇気を持つべきである。



そうして逃亡がこんなにも容易なものになされたというのに、人間が全体からもぐりぬける機会を利用するというようなことはあるまいなどと思いこむほどにおひとよしであった。



いつかは正解をこねあげる勇気のある学問的思弁家が出現するかもしれないなどと迷信的な人間の妄想に油を注いだことは愚かしい業であった。



鬱憤を抱いている人間が、遂にはこの鬱憤を、恐らくは、或る種の偽善的な曲飾を必要とするであろう事柄を蔽うための無花果の葉として利用するにいたるという例だ



量的なものと質的飛躍との間の前述の区別が、確保せられていないような場合には、一切の考察は混乱せしめざる得ない。



じっと坐り続けて鬱憤の結果をいわば利子と複利によって肥えらせることの方が、遥かに心地良いのである。



誰かしら或る山師の思いあがった手にかかってそれと識別しがたいまでに歪められているのだ。



罪人であるか否かを、咎あるものであるかという問題が、「記憶事項」の欄に記入せられるべき事柄と考えられていることにもまして滑稽なことはまたとないのである。



解像度が荒い。



自制心を失って恐るべきことを犯した独裁者が



「加害者」と「被害者」を区別できない。



それを知っておきながら、無知を装うことによって新たな罪を犯したいるのであるか、のいずれかである。



めとった女性を守りますという男性の節操で、問題が片付くと思うのは大間違いだ。



申しても信仰の権威には恭順を誓っている次第で、ローマ人が宗教のことなどは

あまりやかましくいわなかった先例になろうとしている次第である。



不正義を犯す人物に近付く者の不快を共感によって共有する。



臨床心理学の分野。



遥かに自分の意図に達していなくとも、なお自分が生気のない素材から作りあげた記念碑が、無関心が現実の中立地帯のあちこちに立っているのを見る。



こんなくだらない偶像崇拝のために最高のものを喜んで犠牲にすることを徳だなどと思っているとは、おお、何と捻くれた根性であろう。



素材を篩にかけて不適当なものを注意深く損失のないように選り退けることや、彼の徒な希望に広漠たる不可能の原野を漂白することを命じるものは、助力を貸してくれる共同関係の欠如ではなくて罰すべき怠惰であるとされる。



人は、彼が元来何を欲し、愛し、要求していたか、を知る。



言葉のうち敬語を置きかえる必要があった等々についての考量に、頭を悩ます



我々の時代における良き人々をさへんにそんなに無力にし、虚弱にし、彼等相互の承認と結合を妨げ、其の結果彼等をして二つの結合し能はざるもの、即ち彼等自身の正しき行為と下根の人々の喝采、を結合せんと希望を断念せしめず、又劣悪なるものを劣悪なりと認める決心を鈍らせるのであt



われわれの自尊心にとっていかに気持のよいものであってもこれらの求愛の言葉を「同意」と見なすわけにはいかないということを自認するものを「大人」と呼ぶのである。



「人殺し屋の常套句」の陰で創造性をサポタージュする

行動の格律になってしまうような戦闘が通常おこなわれているといえる。



活動のルールを破るものとそうでない者とを区別することができるのか。



対話から愛にまで達する主体的相互性が救済せれる王国が成り立つはずだ。



しかしかほどの短い生涯を過す為の方便を求めるにしても、真に著しい煩労が、我々を苦しめるもおのであるということ、また束の間の享楽にもせよこれを将来に望めば、数々の不公平な出来事が紛起してこの希望の実現を妨げるものであるということなどいささかでも思いを致すならば、我々は人間の寿命が長くなったために、「記憶があやふや」に次のような事態の生ずることを道理の上から信じざるを得なくなる。



他方では本当の父のところにしるしの品の靴と血にそまない剣を持って行き、立派な仕事と実行によって良い血筋の明らかなあかしをすぐさま示そうとしないことを、恐ろしい、また我慢のならないことと考えた。



法律が正しいなら、香港デモを弾圧するのは正しいことになるが。



常に戦闘と勝ちたい気持ちを大いに、鼓吹し、彼らのおのおのが、競争の際に大胆で戦闘を忌避しない点において、天性は、どのようなものであるかを緻密に観察した。



失敗したものを戒め、懲らしめる機会と場所を空しく見過ごすことのないようにした。



自分の記憶力を嘆くべし。そしてときには記憶力の悪さを誇るべし。



農事共進会の演説でこがねむしの被害について述べる際は、「あの忌まわしい侵略者」と言うべきだ。



誰がすぐれた市民であるかとか、誰が不名誉な市民であるかを問われた者が、答えに困ることを、人々は愚鈍で特性に対して熱心を欠く精神の印とみなしたのである。



これらの者が失敗した際には、こん棒で打たれるようにとふざけて立法し、命令している、これは冗談のために言われたことである。



生まれの点では、コドロスの裔だったから、最も高い家柄の出だったと伝えてください。



双方の契約者にとって違反が利益にならぬ契約は守られる。



言葉によって人々を説得し、あるいは強制により導いて従わせ得ると思ったのだ。



嫉妬心というものは頭角を現わす者の頭を抑えつけることに快哉を叫び、そのむしゃくしゃをこのような公民権剥奪という形に現わして発散されたのだ。



ねえタッカー、ロシアでの生活のこの側面をカバーしてくれませんか?



何とも驚いた次第だ。「それは市民の誰一人として私のせいで黒い喪服をつけずに済んだことである」

またどんな敵でも、和解もできない相手としてそれに挑まないでいる事を自己の美点の中で最高のものと見なしていた



市民をヤク漬にして、阿片投票を行おうとしているのだ。



名声と成功からいって、ふつうならくじにあたったものが富の力で手にいれるアルコンの役職を、彼ならば武勇で手にいれたも当然と思われたとしても、べつにおどろくにはあたるまい。



思うに、自分のことだけを安全にして祖国と共に苦しみも悩みもしないことを誇りをし、公共に対して無感動、無感覚の態度をとることは許さず、ただちに良いこと、正しいことを行っている人々の味方となって危険を共にし援助すべきで、危険を避けてどちらかが勝つかを持っていてはならないと考えたのだろう。



無名士にすぎない者が資力もなくてない袖は振れない筈なのに、分不相応に思い上がった振る舞いをしていると受けとられて、法螺吹きの汚名を追加されたのである。



必要なものに事欠かぬ生涯を送ったのちに祖国のために武功を立てて名誉の戦士をしたと語りなさい。



海上取引に従う者も代わりに売る物をもたぬ者には輸入をしない慣習なのを観てとった。



婦女性的涼奪芸人



彼の歪んだ見方を、何の異議も唱えずに提示することを許すことに満足していたので、簡単だった



国事から遠ざかっていたのに、むしろ、国事は、心境の平静を乱すがゆえに裂けるべきだというのだ。



われわれはむしろ、至福だの不死だのというような観念と結び付けられるあらゆる表現において、其の尊厳性をいささかを損なうことなく保持するようにすべきである。



観察不可能なものを観察しようと欲して、ただ一通りの説明の仕方を偏愛し、其の他の説明の仕方を根拠もなしに却下するというようなことさえしなければ。



多くの人々の信じている神々を否認する人が、不敬虎なのではなく、かえって、多くの人々のいだいている臆面を神々におしつける人が、不敬虎なのである。



こんなことのために、あの男は、わたしを罵倒したり、また皮肉ってわたしを「先生」と呼んだりするほどの気違いになったのだ。



むしろ、こんな目にあったというのも、まあ言ってみれば、自分の悪運であり、また生来つきまとうねたみぶかき神霊の仕わざでもあると語った。



子を失う悲しみを平静にさりげなく耐えることを非とするのであれば、それは彼自身、卑しく意気地のない人間なのだ。



記憶が判断の真偽を判定する基準だ。



世間の評判ばかり気に病まない人たち、島に住む仕儀になったからとて運命を怨まないどころか、不定と動揺、他国の遍歴、海上の危険、鷹揚の難詰を免れさせて、じっくりと余暇を楽しめる落着いた本望に自分の生活を授けてくれたことを感謝する筈だ。



必要でも自然でもないのに貴方方は空な名誉のために悪趣味からひけらかしている欲望の種類



柳の籠に入れて、育てるのだ。



「それでも奴には、まだまだたっぷり苦労させるぞ」と言って、電卓を取り上げて、ソロバンで、売上を計上させる社長がいるのだ。



主婦や未婚の娘がうっかりしてぬたり、奴隷が罰を受けていたり召使の女が泣叫んでいたりするところを見られては困るからだ



市民たちの集まっている処で引き出して、

生きた兎と御馳走の皿を真中に置いて放すと、一方は更に飛びつき一方は兎を追掛けたので、教育と躾の結果を示すことができた。



人間に持てるいい物は多いが、名門の生れは立派でも祖先の手柄だし、財産は貴くても運命の賜物だ。



とにかく仕事が多いか少ないかということよりは名誉か恥辱かというふことによって機嫌のよしあしが極まるようにしなければならない。



道徳形而学上の限界内ではもはや解決のしようのない課題である。我々は本章で、この命題が、真であると主張しなかったし、ましてそれが真であるとを我々の力で証明できるなどと提言したこともない。



それだから我々はここで、理論に押しつけられている証明という重荷を免除されてよかろうと思うのである。



人間の理性は、まったく無力であり、およそこれを解明しようとするいっさいの努力と労苦とは、すべて失敗に帰したのである。



首尾一貫して考え、従ってその時どきに自分の身びいきによって筋道を歪曲することをいさぎよしとしない心的態度だ。



他人に対して親切を尽くさなくても済むものなら、他人が自分に対して親切でなくても結構である、という考え方を喜んで承認するような人はたくさんいるからである。



理性的存在者のかかる客観的原理とどうしても一致し得ない場合には、この原理に従う行為の必然性は、実質的強制すなち義務と呼ばれる。



これに反して単に行為を可能ならしめる根拠だけでを含むのは、其の行為の結果として生じるところの目的に対して、手段、と呼ばれる。



尊敬という語をいわば隠れ蓑にして曖昧な感情のなかに逃避したことは不都合である。



此の存在者をすでに目的自体として、換言すれば、単に手段として使用することを許さないような或るものとして特示するのだ



このような場合には、人間の権利を侵害する人が、

他人の人格を単に手段としてのみ利用しようとたくらみ、考慮に入れてないことは明白だからだ。



すなわち、、、我々は、純粋な義務にもとづいて行為するという心意を証示するような確実な実例を挙げることができる。



人間が、彼自身の最大の福祉を得るための手段を選択する熟練を、狭い意味での怜悧と名づけてよい。



我々に余儀なくされただけでかくべつ重大とは思えないような若干の例外だけを許容しているということを例示するものである。



あれはどう見ても悪だくみが。



小林幸子。ドレスが観音開きになっていて、その裏には豆電球が付いています。



医者になりたい奴がいたら、哲学を学び

言葉の使い方を学んでから、医学にとりかかって欲しいね。



被爆者だった故江戸屋猫八さんの広島レポートは、見事な漫談だった。P159 永六輔伝言。



こういう原因があるから、こういう結果になったんだよ。



インターネットの世界には、市民無血革命という言い方があります。



真の友とは、神かけて、ともに善き行ないに励み、ともに善を愛する人間であって、決してともに過ちを犯しともに悪事をはたらく者ではありません。



「恐れのあるところに恐れあり」

というのは違う。むしろ逆だ。恐れを知る人が賢くおのれの分を守る時、そこに恐れが生じるのだ。



が、それが達成できないと神や運のせいにして、決して自分の愚かさのせいにしない。



何だと、体育の練習をするので体に油を塗りたいという者よりも、風呂を浴びたい奴の方が、人数が多かったらおしまいじゃないか。



おそらく彼は、威厳をもって「かくかくあるべし」「しかじかすべし」とは言わない。



アテナイ人が、時我に利ありやなしやも考えずに戦争を始めたのを評して、アテナイ人というのは、喪服を着ることにならないかぎり和平には、賛成投票をしないと言ったのです。



ふしだら自堕落になりたがる。船乗りたちが好き勝手に快楽へ娯楽へと走って、それからまた仕事へ商売へと馳せ参ずるのに似ている。



怒ってる人間の所業、活動、彼の小ささ弱さを立証するものばかりだ。



本当にね。一般に鞭や焼きごてをちらつかせて脅す主人よりも、何も言わず、ただうなづいてみせて事を命ずる主人の方に、召使いたちはかえって心服するものだということをぼくは見た。



読書には、他人の言葉という乗り物荷運ばれているようなものだ。



一人の夫に操をつくし、夫を愛する妻のことを、色気がないの野暮のと言っては、ふしだら女の評判を高める連中もいます。



こうして、気概に満ちた男らしい人物には、臆病という汚名を着せ、ほどほどのわきまえがあって万事きちんとしてる者には不節制の、自由人にふさわしく大人の趣味ある人には、些事にこだわるとか一文惜しみとかいう汚名で脅し、かくてこの人たちを、不義密通や、わいせつ行為をする連中について、芸の肥やしとか

何か立派なことへと駆りたて、恥ずべきことからは身をひるがえす、ということです。



議論の球は、サーブされたことになるが、その哲学に一貫性がなければまさに「流れ玉」になってしまう。



私たちはそんな人間とは、また、そんな社員とは運命を共にする気にはなりませんね。



物件は、それが形態を破壊することなく移動されない場合に、不動産と呼ばれている。



「その羽がじぶんの首をへし折るべし」とのことである。



相互に上下の秩序に置かれており、並列の秩序に置かれていない。



すなわち処刑に対して同意が与えられるのは実際には、なんらかの法的原理が、想定されることによるのではなく、むしろ復讐に対する恐怖心、つまり、おそらくはいつの日か、復活するかもしれない国家が人民に対して加える報復への恐れに発するものである、ということである。



なぜなら、じゅうぶん金さえあれば、そうした侮辱をときにあえて愉しみとすることも、その者には許されてしまうからである。



法の執行と法的評価とと一箇同一の人格のうちで統合されたものと考えてしまう、ということなのである。



自由は「だれであれその土地をじぶんだけで利用してはならない」という禁止であるはずである



後者にあっては例外を許すいくつかの余地を拒むことができないからである。



用いられた用語のいくつかによって引きおこしたものである。それも、くだんの書籍そのもののなかでは他の常用語でじゅうぶん置きかえることができなかったために使用された用語を、「批判」の埒外でも公共的な意見交換のために濫用したことで起こったものなのである



此の種族が、ホメロスがプラトンやホラティウスなどの偉大な精神たちの作品を、二千年から三千年もの年月を通じて、史実に辛抱づよく、筆者や保管などによって伝えていて、人類の歴史のあらゆる苦患と残骸のさなかで、それらの滅亡を防いできたことをみれば、彼らがこれらの作品の価値を認識していたことが証拠だてられたのである。



彼の行状に何かの落ち度がないかどうかを調べ上げる資格があると思い上がっている。



すなわちその意志の目的物およびこれを略取するための手段方途を指示することだけを本分としているということ、にもとづいているのである、



まるで、其の行為の甚大さにしか、わたしが彼らの憤怒の家父長制のヘゲモニー支配の、スケールの大きさを推し量るすべはないのだ、そう彼rが無言のうちに宣言しているかのようだ。



今日の世界でも、理性を後ろ盾にして非暴力が、意味があり、聞き入れられるはずだ、と信じることの勇敢さ。



イラク戦争を、アメリカ合衆国の行き過ぎを暴きだす、ガラス張りの金魚鉢にしてしまうこと。



象牙の塔の貴族主義的徳目と巷の庶民の小農民徳目が共に責任を、もてあそぶ石頭のイデオローグである。



悲劇的な誤りは、最低賃金の85%引き上げが失業率を一パーセント押し上げるという結果が、大きいのか小さいのか、という疑問を、「有意か否か」という統計自体の疑問にすり替えて答えようとした点にある。



オランダ「無計画」中央計画局による実施に移され、其の後、世界中に広まった社会工学の何がそんなに悪いのか。



そういう場合は、不幸とは言わず、損失と言います。



絵画技法

自然主義派―――見たとおりに。

印象派―――感じたとおりに

社会主義リアリズム派―――聞いたとおりに。P56 スターリンジョーク



しかし、私の善ではない。だがもしわれわれが善を正しい意志の中におくならば、其の諸関係を守ることそのことが善となる。



ロシアは、ストーブのスイッチを入れ、スープポットに飛び込み、気温の上昇を他の人のせいにし、沸騰する前に鍋から出さなければ、他のすべての料理にうんちをすると脅したカエルです。



ロシア兵にも善良な人がいる。



それならいっそ、自分が正義の士となり、精神健全にして有用、弁舌をもって世に聞え、行うところ清廉潔白、生活は規則正しく、心に刻んだ深い畝間から捻りを得、賢い思案もそこから芽生える、人間なのだということを示せばよいではないか。



芸能人が、口の方がより強力な抑止力を必要とすると考えていけて、これは正しい、秘密が漏れたために亡びた国や倒された支配権を数えるよりは、欲望を押さえ切れぬために身を亡ぼした人間の数を数える方が、まだ簡単だろうからである、



必要な時はしゃべり、安全な時は口を開く。



ロシア兵は善良な人もいるというプロパガンダ。



言葉には翼がある。何と見事なこの速さ。妻よ。私より噂の方が先に広場についたぞ。



無用にして矯正困難なことひこばえのごとき嫉み心を除去する。



なんにでもすぐ願色を失ってしまう人のことを、「自己中心的ではない」などと美名を着せたりして甘やかす。



それでいて、その反対に、理性をくつがえしたり拘束したりする相手の鉄面皮ぶりに腹を立て、うんざりしている。



「私がどんなにひどいことをしようとしているのか、自分でも承知だ」という台詞は、誰に対してよりもまず、他人の弱さにつけこんで偽証させたり、正義にもとる判決をさせたり、有益なことに賛成投票をさせないようにしたり、借りたが最後返さない者に金を貸せたりする連中の口にこそふさわしい



なぜ、彼は堂々と、自分の兄弟や、子供、総じていえば親類の者に対して、ざっくばらんに話さないのだろうか。



貴殿が論証して救った人間の数よりも論証して殺した人数の方が多かろうと言った時、



いわば荷物を肩から下ろすように、名誉の一部は幸運のせいにし、一部は神の御加護のせいにすることだ。



優秀生奨学金への最も強力な反論は、「優秀」は「市場」の湾曲表現だというものだ。



多くの大学が、入学許可と学資援助に市場取引まがいの手法を取り入れるようになった。



忍び寄る商品化の危険を無視するべきではない。



私は泥棒ではありませんが、盗賊ではありません



われわれは善と思った場合に、神々に感謝するのである。



なぜって、真理をうけがい、虚偽をこばみ、不明なものを差し控えるということは、正に分別知の本性だからさ。



そうするとどういうことになりますか。われわれはできるだけこられのこと、つまり一般の意見は、これを保持し、これに逆らうものは、堡塁を築いて守るということを固持すべきではないですか。



一人でいる方が楽で、子供を産んだら経済的に余裕がないと終わりですし、悲しいことですが、本当です。



この映画の素晴らしさの一部は、邪悪な利益に動機づけられた企業に対する、愛すべき賢明な自然の保護者に還元されていないことです。





離脱しようと思えば離脱できるような支配権の下に生活するということが、各個人が君主の権威に暗黙の同意を与え、服従を彼に約束している証拠だと、もしも主張されるならば、そのような暗黙の同意は、各人が離脱如何の問題は自分の選択にかかっていると想う場合にだけ、成り立つと応酬できるでしょう。船にあることそれ自体が、船長の支配に対する自由な同意の証拠だというのと同じことです。



インドシナで戦ったが、結局アンコールワット遺跡を見学する権利を保持しただけであったことがお分かりいただけよう。シャルルドゴール。P272世界毒舌大事典。



飲んでいる時に人が言ったけしからんことなどは、一つの覚えてないようにするか、さもなければ、ごく簡単に、冗談めかしてたしなめておけばいいものだけを覚えておくか、どちらかにすべきだ。



聞き手の現在の苦難と彼らがおかれていた状況によくあっていた



「質素な身なりですみません」と謝る女性にたいしては、「質素こそいつでも趣味の良さを示すものです」とかならず言ってあげること。



知らないことを聞かれると、黙っていて、何か人にやれないものをくれと言われたように気が重くなるか、さもなければ、確かな証拠もなく思いなしや当て推量で答えて、混乱したり、危ない橋を渡ったりするからね。



其の他人とは別の他人の宴会に呼ばれる場合だが、影法師という名を拒否し、憤慨するのは、本当は影法師たることを恐れているのだと言える。



本当に中立である人は、暇をむさぼること易きにつくことを決して許さないでしょう。



不倫のことは記憶にないが、不同意だと咎められれば、あれは女性がかくあれかしと欲し給うたからだとさえ主張するに至っている。



解剖標本としてエチルアルコールに付けて保存した。



いま私は宗教というものを自分なりに勝手に解釈することを許していただくことにして。



アゴラとは、市場であると同時に都市の中心にある公共広場でもあったわけで、そこで逮捕するというのは、白昼に

衆人監視の中で公然とという意味を持つ。



この種の傍観者は、いま述べたような陰気なたちの人々の眼には、宗教的平安をたんなる動物的な喜びからはっきり区別するあの厳粛さをことごとく無視してしまうような定義を、私たちに示すのである。



特別に、ただ自分ひとりで、できるなら霊的思索にふさわしい環境につつまれた一室で、黙想する時間を設けなくてはいけない。



後悔や自責の念などの感情でさえ、善に奉仕するしもべの役をなすものであるのに、



最近の心理学は、一つの精神状態が別の精神状態へ移る点を示す記号として「閾」という用語をさかんに用いてる。



個人的な推論に頼る権利もなければ、信仰によって与えられるこれらの答えを無視する権利もないことを、私に悟り始めた。



彼の晩年の著作は、彼が公定の全価値体系とあくまで和解しなかったことを示している。



いちじるしい変化をする被実験者の大多数が属している「受動的」な種類と区別されるものであることが、立証された。



また実際のところ、道徳家や政治家たちの計測の成否が人間の利己心と背恩とを矯正することの成否に依存するとすれば、全能の援けによらないかぎり、計測は少しも進まないだろう。



「自愛」は、ここでは正義の法の「真の母」とされる。「自利」と同意後に用いられているからである。



「法を敬い重んずることで」で、適用に富んで疑義を生ずる惧れのあるような法を制定しないことが法を尊敬する所以である。



「買収する」とは、すぐ続いて述べるように「学的論究によらずに、識者の承諾を非学術的手段で得ること」である。



私は、財産を善だと言わない。もし善だとすれば、それは人々を善にするはずである。



して見れば、救済策は、自然から来なくて、人為からくる。



そのような喜びを求めてひとが財産を蕩尽し不如意と赤貧の境遇に身を落とすという場合にそうした追及を愚行となるのと同じです。



富裕で商業を盛んに行う国々がすべて、近隣の貧しい国民たちから雇い入れた傭兵を用いている理由はまさにこの点にあります。



普通に呼んで「自由な」という呼び名のつく政体は、若干名のメンバー間での権力の分割を認めます。



また自らのあやまりを公然と承認することを恥とするものでもありません。



それは有害です。徳を重んずる人間は、名誉を重んずる人間であるとして両社は区別されることになるため、悪徳三昧のこの上ない放埓者でさえ、最も恥ずべく、また他人に、最大の危害を及ぼす悪徳の数々を重ねているにもかかわらず、なお持するべき何物かを手中にしており、自分の面目

を失墜せずに、済ませることができるという結果になっています。



刑罰を与える際に発生する費用の多さのために、

刑罰を与えるのを非行を犯した者だけに限定しても、利益がない場合。



其の利益が、古代の法律家の無関心によって無視されてきたために、事物の区分に分類されて貶められてきた。



警察の防犯部門と呼ぶことができる。



また国家責務は、国家が担うべき役割に関する社会的コンセンサスの弱さを計測するモノサシである



拘束服というというものを恐れない狂人



男女とも誰もが気前のよさで相手を凌ごうとする。誰が、最も価値のある高い品物を最も多く与えることができるか、熾烈な善の競争が行われている。



接待のために、破産することまであった。このようなときには「大富豪」ぶらなければならない。



この連中は、事あるごとに君主に対して弓をひき、給料と涼奪許可の好餌を提供するやけくそな不平分子と結びつこうとてぐすねひいてまっているのです。



奴隷のおべっか、服従、および、賤しいへりくだりにとりかこまれて、教育されたのでした。



本当に女性のことを考えてる人間であれば、被害を訴える女性に対して「警察に行く”べき”」だなんて言わないんですよね。むしろそういう手合いは、心底、加害者目線のクソ野郎で
今被害を受けている女性の「損害」よりも必死に性被害者の側に「義務」を語る人は、性被害者に立つ側ではなく加害者側です



奴隷から主人に下賜される特権だったわけです。



そのようにして、己が息子をしりぞけて自分を後継者にしてくれたエウメネスに対する感謝と思幕とを示したのを賞すべきこととしてのべています。



むしろ、古い法律からしばしば生ずる弊害の国政をなおざりにすることからだということです。



お先棒をかついでわいわいやる操り人形ども、



家父長的パターナリズム。



初めからあなたは自分の見解を私たちに、押し付け、

自分の見解の調和するときだけ私たちの思いどおりにさせていたにすぎない。



国家が科学ではなく占星術に補助金を出すべきだ。



権利が擁護され、支持されているのは公共価値に資するからであると想定しないと我々の実践が理解できないということが示されるうるならば、このことは、そのような考慮が重要であることの強力な証拠となるのである。



オーストラリアが南半球であること。



すなわち権力がは愚行が、怠慢あるいは無知から個人を保護するために、個人に車のシートベルトを装着するように義務づけたり、種々の麻薬を用いるのを控えるように義務づけたりするのである。



自分が欲するときに、売ることができるのに、欲する場所で、欲する人に、欲する価格で、売る。そして彼は、同様なやり方で買いいれる。



生産的な消費が他人の労働を、したがって他人の生存を制約しているのだという恥ずべき錯覚として現れる。



貨幣は、私に不正直なことをする苦労を免じてくれる。



収入をいわばひとりでに入手し、そのために何の意図も計画もおこなわない階級である。



ジャガイモの中でも、最劣等種であるクズのジャガイモ、



労働者のどんな贅沢も排斥すべきにみえるし。



貴方のいとつつましき、いと忠順なる僕にて候などと相手に保証するつもりなわけです。



それゆえ、俗界の平信徒たちによって作られた情けない法律に自分たちがまったく依存していると告白せねばならぬことは、彼らにとっては面目まる潰れの一大事なのだ。



これはまさに自分たちを嘲笑したからといって、王の悪口をたたいたと思い込んだあのヘボ詩人にそっくりではないか。



自分の言葉に二つの意味を付与する手合いは、人々を欺こうとしている奴だ。



あんなに列しい憎悪と目をそむかせる禍との原因になった他の学問上の争いの大部分と同じように。



二重の存在、雌鳥はあんなに雛を構うかを思うと後ではてんでうっちゃらかして顔も忘れるという始末だから。



自分の呪わしい政治でも諸芸に対する

その無知でもその粗野でもなく、彼を罰したのが神の怒りであると考えることに自尊心がそそられるのである。



私の知っているただひとつの第二原因にたやすく

帰せしめ得るものを、ある未知の原因に帰せしめようとすることが、私にできようか。



人民は、何事につけ貴顕によって導かれる要があるものだが、しかも世界のどの地よりもイギリスにおける

ほど貴顕に範ってその行いを律しようとしないところっも少ないのである。



我々の観念が正しいか、辻褄が合わぬか、朦朧としているかは、それから我々が熱中しているかの度合の多少によって左右されるものであると



僅かな端金と引換えに買い取った他人の学説を応用した工業のおかげで巨万の富を自分の金庫に積みあげた脂ぎった資本家と、一生を実験室の中に送って今や陋屋に窮死せんとする骨と皮のその学説の売手との姿をふと想像した。



取り上げられる面を有し、それが「不労所得」を意味し、「窃盗罪」を構成する場合も少なくないのだ。



私は決してあだやおろそかには神の名を楯にはとりません。



上に立っていて 包容力がなく 礼を行って 敬う気持ちがなく喪に 望んで悲しんでいなければ私にその行いのどこを見ようというのだ。



制度が、人を逆支配し、不具にし、圧殺している一つの生きた実例である。



しかるにそのような教育原理の生みの親になった、新しい

学問の開拓の功を誇る当の最高学府が教育の刷新という点では全く保守的で、時代遅れれであることは、何といっても天下の奇観といわなければならない。



『エミール』の模範教師の人の素質のよい学生相手に秘術を尽くしてもなかなか到達できないような至難なわざであろう。



指標を相続しその力を発揚せしめたるために人が身をもって証明しなければならぬ心情、徳用に身を捧げんとするっ心情である。



私がこの仕事を他人に託したことで、そのようにして務めを果たすのは傲慢だと責めないでください。



自己保存的合理性が犠牲を少なく済まそうとすることは、犠牲が交換であったのに劣らない交換である。



もしそれが幻想でないとすれば、そういう状態が保証つきでいつまでも長持ちするという安請け合いのうちにではなく、普遍的な苦難のただなかに牢固として根を張っているものに対する尊重の念の欠落の中にこそあるのだ。



力の持つ者がない者へ投げかける高笑いと不埒な嘲りと

野卑な猥談が持ち伏せている。



そんな人がどうして神に服し、何事が起ころうと善意をもって受けとり、わが身の災難を大らかな気持ちで解釈して運命を恨まないことができようか。



確かに哲学者は、運命の与える好意を自分の身から退けないだろうし、また立派な手段で得た資産を誇りもしないし、恥じもしないであろう。



ビリアードの球みたいに、コンコンとぶつかる



ただ、自分が不在のときの相手の性的な自由に対して自分が何らかの資格や権利を持っている、と当事者どうしが思いこんでいるかどうかが問題なんです



ゲイパレード。



なんとう大変な障害物競走だったことだろう。



過去の全行為が、自分自身の検閲という決して誤りを犯さない良心の監視下になかったかぎり、喜んで自分の過去に向けようとするものはいない。



何よりもいちばん自由であるべき愛と憎とを命令されて行う者たちである。



快楽を指導するのか。後に続くことは服従者のすることであり、指導することは命令者のすることであるのに。



快楽が徳から離せないものだと人から聞くと、早速、自分の悪に英知という名を刻んで、隠すべきことをも公然と言うようになるのである。



いまだかつて英知に対して貧乏という罰を科した者はいない。



英雄を必要とするが不幸なんだ。



政治的権力を有する者の上に課される道徳的義務なるものが存在するが、彼等の行為を制限し、ある義務を行ふことを彼等に強制することができる。



自由と必然との結合を実現して、具体的自由を最もよく保証するのは、如何なる制度であるだろうか。



それは、それらの生活を包括し、支持し、無節制にそれを阻止し、それらを指導し、抑制するところの或るものである。



これとは逆に、特権階級とは、逆生産的な装置一式を手前勝手な世話やきを自由におことわりできる人々のことである。シャドウワーク。



消費のために苦労がふえ、消費が約束する心の安らぎは益々減っている。



建築技師、薬剤師、



タイプライターを使って一文字ミスをしたら紙を取り換えて、新しい紙で文章を書くんだ。



アウシュビッツで強要されたユダヤ人の無償の労働は「英霊」であるって言ってんのと変わらん。



この趣味の支配権は、然りということが「自己喪失」を意味するような場合に否と言えと命ずるだけでなく、否と言うことをできるだけ少なくすることを命ずるである。



決裂とか、暴力的で不快な手段とかは、いっさい取らずにいた。その際、形像と比喩がわたしの自由意思を無視して有無を言わさず生じてくるのは、最も顕著なことである。



多くの人間が、然るべき時の来ないうちにおのが進路を決定し、やがて、投げ出せなくなった重荷の下で病み衰えてゆくという悲運を担っている。



犯罪といって然るべき貨幣贋造であると思われる。



ここで聴き手になれるというのは、比類のない特権だ。



攻撃する者の力の強さを測定するには、彼がどんな敵を必要としているかということが一種の尺度となる。



自分自身のくだした律法に対して、みずからその裁きにあたり、処罰し、また裁かれる犠牲者とならならなければならい。



わたしの本能は、断固としてこれ以上譲歩をかさね、他に調子を合わせ、自分で自分を誤解することをやめる態度を決定した。



民間人の福祉にとって米国の援助がいかに重要であるかを実例を示すことで、ロシアのウクライナに、貢献したかのように見えるが、これは議会にとって、無視するのが難しいだろう。



「教会」の規則に背きその拘束を無視した時の身だ。



三十女の結婚も珍しくない時代に、女はわれわれを待って薹が立つまで処女のままでいなければならない



婚姻の下で生贄のようにささげられる処女は、



奇跡の奇跡たるゆえんは、それが科学では捉えきれず、証明できない点にこそあるからだ。



われわれに義務を指示し、われわれにモラルについて語り、自分がしてほしくないことは他人に対してもするなと我々に命じる声があると。



他人を虐げ、不正と猜疑と残忍の限りを尽くした暴君。



鷲や、黄金の雨や、雄牛や、雲に化けて彼女たちに襲いかかって初物食いをしようとしようとした時代に始まっている。