映画「オッペンハイマー」に対する違和感について。

 

 

 

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。まる一日、時計を見たまる三時 少し前だった。

私はひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないので、ベッドで、冷え切って一日 ぼんやりとした雲に包まれるようにして生きていた時のことを もう あんなことはごめんだ。あの時は 私はまだ学生だった 。だから あれでもやっていけたのだ。でも今 そうじゃない。しかしこのままベッドに入ってもたぶん一睡もできないだろうと私は思った。 私にはそれがわかった。 私 は 首を切った。仕方ないじゃないか どうやっても眠れそうにないし それに本の続きだって見たいのだ。窓が明るくなると 本を置いて台所でコーヒーを沸かして飲んだ。 私には何も考えられなかった。 パンを切りバターとマスタードを塗りチーズのサンドイッチを作った。 そして流し台の前に立ったまま それを食べた。 そこまで 激しく お腹が空くのは私としては非常に珍しいことだった。それは 息苦しいほどの暴力的な空腹感 だったまる サンドイッチを食べ終わってもまだお腹が空いていたのでもう一つ サンドイッチを作って食べたまる そしてもう一杯 コーヒーを飲んだ。私は十分ほど 横になってから こっそり ベッドを出る。 そして今に行ってフロアスタンドをつけ グラスにブランデーを注いだ。 それから ソファーに座って グランディを一口 一口なめるように飲みながら本を読んだ。 気が向くと 戸棚に隠しておいたチョコレートを出して食べた。そのうちに 朝がやってきた。朝になると私は本のページを閉じ コーヒーを沸かし サンドイッチを作って食べた。毎日同じことの繰り返 だった。私は手早く家事を済ませ 午前中ずっと本を読んだ。そのようにして一週間が過ぎた。間断のない 覚醒が 二周目に入った時 私はさすがに不安になってきた。 それはどう考えても異常な事態 なのだ。人は眠るものだし、 眠らない人はいない。私は昔、人を眠らせない 拷問のことをどこかで読んだことがあった。たぶんナチスがやった拷問だ。人を 狭い部屋に閉じ込めて、眠ることができないように目を開かせて光を当てつづけたり、大きな音で雑音を聞かせつづけたりする 。そうしておくと 人は発狂してやがては死んでしまうということだった。どのくらいの期間の後に発狂 は始まるのか 私は 思い出せなかった。 三日か、四日か、そんなものだ。 私の場合は眠れなくなってからもう1週間経っている。 いくらなんでも長すぎる。 それなのに私の体はもうちっとも衰弱していない。 むしろいつもより元気なくらいだ。私はある日 シャワーを浴びた後で裸のまま全身鏡の前に立ってみた 。そして自分の体の線がはちきれんばかりの生命力をたたえているのを発見した。驚いてしまった。 私 は 首からくるぶしまで全身をすみなく チェックしてみたが、そこには一切れの余分な贅肉も 一筋のしわも発見できなかった。私の体はもちろん 少女時代の体つきとは違ったものになっていた 。でも肌は昔に比べてもずっと 艶があり、 張りがあった。私はおなかの肉をためしに 指でつまんでみた。それは固くひきしまり、見事な弾力を保っていた。 一体私に何が起こっているのだろう。 医者に行くことも考えてみた。 私には子供の頃から世話になっている 気心の知れた 知り合いの医者がいる。 でも 医者が私の話を聞いてどんな反応を見せるだろうと考えてみるとだんだん 気が重くなってきたまる私の話はそのまま 信用されるだろうか 1週間も全く眠っていないなんて言ったらまず私の頭が疑われてしまうだろうまるあるいはただの不眠症のノイズ 俺のノイローゼとして片付けられてしまうかもしれない。 あるいは 私の話をすっかり 信用して私をどっかの大病院に送り込んで検査を受けさせるかもしれない。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない、ベッドで、見回してみた。 部屋の中のどこにも 老人の姿はなかった。枕元の時計は十二時半を指していた。 ベッドに入ったのは十一時前だから、一時間半くらいしか眠っていない。 隣のベッドで夫は深く眠っていた。夫はまるで意識を失ったみたいに、寝息もたてずに熟睡していた。彼は一度眠ると、よほどのことがない限り 目を覚まさないのだ。 私はベッドを出て 浴室に行き 、汗で濡れた服を脱いで洗濯機の中に放り込み 、シャワーを浴びた。それから体を拭いて、タンスから新しいパジャマを出して着た。そして居間のフロアスタンドをつけ、ソファーの上に座ってブランディを飲んだ。 私はお酒を飲むことはほとんどない 。 夫のように体質的に全く飲めないというのではなく 、昔はけっこう飲みもしたが結婚してからはぱったり飲まなくなってしまった。でもその夜は 昂ぶった神経を鎮めるために何かを飲まないわけにはいかなかった。戸棚の中にレミーマルタン が1本入っている。それが 家にある唯一のアルコールだった。誰かにもらったのだ。 ずっと昔のことなので誰にもらったのかも忘れてしまった。瓶には薄く ほこりが積もっている。ブランディ グラス なんて もちろんないから普通のグラスに二cm ばかり それを注いで、一口ずつゆっくりと飲んだ。体がまだまだ 小刻みに震えていたが、 恐怖は次第に薄らいでいった。あれはたぶん金縛りだと私は思った。る 金縛りにあったのは初めてだったが それを経験したことがある 大学時代の友達から話だけは聞いていた。それはものすごく ありありとして クリアなのでとても夢とは思えないのだと彼女は言った まるその時も夢とは思えなかったし 今だって思えないのよ とまる 確かに夢には思えないと私は思う 。でもとにかくそれは夢だったのだまる夢でないような種類の夢だったのだ。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、冷え切ったコーラを飲んでこれ以上はあげられないくらい大きな悲鳴をあげた。でもその悲鳴は外には出なかった。私の舌は空気を震わせることができなかった。 悲鳴は真空の中で音もなく鳴り響いただけだった。その無音の悲鳴は出どころのないまま私の体内を駆け巡り 心臓は歩道を止めた。 頭の中が一面の空白になった。私の細胞の隅々にまで、悲鳴はしみとおった。私の中で何かが死に、溶けてしまった。 爆発の閃光のように、その響きのない悲鳴は私の存在に関わってる 多くのものを、根こそぎ 理不尽に焼き払ってしまった。 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、冷え切った体で、はっと目が覚めたのだ。目が覚めてしばらく私ははあはあと大きく息をしていた。 手足がしびれてうまく動かなかった。 じっとしていると、まるで空洞の中に横たわっているみたいに自分の息づかいだけが家に大きく聞こえた。夢だったんだ、と私は思った。そしてずっと仰向けになったまま、 息が落ち着くのを待った。 心臓が激しく活動し、そこに素早く血液を送り込むために灰がふいごのように膨らんだり縮んだりしていた。でもその振幅は時間の経過とともに徐々に減少し、 収束していった。いったい 今は何時なんだろう、 と私は思った。枕元の時計を見たかったが、うまく首をひねることができなかった。 その時、ふと足元に何かが見えたような気がした。それはぼんやりとした黒い影のようなものだった。私は息を飲んだ。心臓も肺も体の中の何もかもが 一瞬 凍りついたように 停止した。 私は目を凝らして、その影の方を見た。私が目を凝らすと、 それを待ちかねていたように影は急激にはっきりとした形をとっていった。 輪郭が明確になりその中に実態が注ぎ込まれ細部が浮かび上がった。それはぴたりとした黒い服を着た 痩せた 老人だったまる髪は灰色で短く法はこけていた その老人が私の足元にじっと立っているのだ。老人は何も言わずに鋭い目で私を凝視していた。とても大きな目で そこに 浮世が上がってくる赤い血管の筋までがはっきり見えた まるでもその顔には表情というものがなかったまる 何も語りかけてこないのだ。穴のように空っぽなのだ。

眠れなくなってもう十七日めになる。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、冷え切った口の中は、カラカラでどうしていいかわからない。これが、引きこもり、と呼ばれているものに合致するのかどうか確信が持てないからだ。病院に行けばあるかないかくらいはわかっただろう。でも私は、行かなかった。たぶん何の役にも立たないだろうと思ったからだ。ただ直接的にそう思ったのだ。行っても無駄だろうと。だから私は、医者にも行かなかったし、家族にも友人にもそのことは黙っていた。誰かに相談したら、きっと病院に行けと言われるだろうとわかっていたからだ。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、冷え切った人と人とが、どうやって心を、しゃべれない。立ち上がると頭がくらくらする。約一ヶ月ほど、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと、何もなく、その一カ月間、私は、まともな眠りを抑えることができなかった。夜になってベッドに入あ眠ろうと思う。そのとたんに、どれほど努力しても眠ることができない。眠ろうと意識すればするほど、逆に意識が覚醒する。酒や睡眠薬を試してみても、まったく効果はない。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないし、ベッドで、何の予兆もなく、ある日外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと、外から入り込んで、そしてまどろむ。じっと私を見守っている。私自身の意識の視線と息づかいをすぐそこに感じつづけている。私は眠ろうとする肉体であり、それと同時に覚醒しようとする意識である。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、冷え切った足を回し、ぐっすりと眠ってしまいたいと思う。それは自分の影だ。奇妙だ、と私はまどろみの中で思う。私は自分の影の中にいるのだ。私はまどろみつつ歩き、まどろみつつ食事をし、まどろみつつ会話をかわす。でも不思議なことに、まわりの誰も私がそんな極限的な状態に置かれていることに気づかないようだった。その一カ月の間に私は実に六キロも痩せた。それなのに、家族も友人も誰一人として気づかなかった。私がずっと眠りながら生きてたことに。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、冷たい風を外から入り込んで、すべてが、終になればよいとこの世界に生きて存在しているという状況そのものが、不確かな幻覚のように感じられた。強い風が吹いたら、私の肉体は世界の果てまで吹き飛ばされてしまうだろうと思った。世界の果てにある。見たことも聞いたこともない土地に。そして私の肉体は私の意識と永遠にはなればなれになってしまうのだ。だから私は何かにしっかりとしがみついていたかった。でもあたりを見わたしても、しがみつけるようなものはどこにも見あたらなかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、足を回し、夜になるとある日これからの先どうするんだと、激しい覚醒がやってきた。私は完全に無力だった。私は強い力で覚醒の核にぴたりと固定された。ただじっと覚醒しつづけることだけだった。私は夜の闇の中で目覚めつづけていた。ほとんど物を考えることさえできなかった。時計が時を刻む音を聞きながら、夜の闇が少しづつ深まり、そしてまた淡くなっていく様子をただじっと見つめていた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、冷え切った体を足起こし、立ち上がると頭がくらくらする。足を回し、何も言わずに席を立った。何かをテーブルから落としたような気がする。誰かが私に問いかけたような気がする。でも何も覚えていない。私はよろけるようにして自分の部屋に行って、着替えもせずにベッドに潜り込んで、そのまま眠り込んでしまった。そしてそれから二十七時間こんこんと眠った。母が心配して何度も私を揺さぶった。ほっぺを叩きまでした。でも私は起きなかった。二十七時間 ぴくりとも目覚めなかったのだ。そして目が覚めたとき、私は以前の私に戻っていた。 もとどおりの私に。たぶん。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足を回し、ずっと時に、どういう理由で。そして それがどういう理由で突然治ってしまったのか。私には分からない。それは分厚いようなものだった。私の知らない不吉なものがたっぷり詰まっている。それがどこからやってきて、どこに去っていくのか、誰にもわからない。でもとにかくそれはやってきて、そして去っていったのだ。しかも今 私が、それ とは全然違う。何から何まで違う。私はただ単に眠れないのだ。一睡もできないのだ。でも眠れないという事実を別にすれば 私は至極 まともな状態にある。むしろ 普段以上にクリアだと言ってもいいくらいだ。体にも何の変調もない。食欲もある 疲労も感じない。現実的な観点から言えばそこには何の問題もない。眠れないということだけなのだ。夫も子供も私が十七日間にわたって一睡もしていないことにまったく気付いてはいない。私も何も言わない。何か言うと、病院に行けと言われるだろうから。そして私には分かっている。病院になんか行っても無駄なのだと。睡眠薬を飲んで解決するようなことはできないのだと。だから眠れないことは誰にも打ち明けていない。昔の不眠症の時と同じだ。私にはただ単にわかるのだ。これは私が自分ひとりで処理しなくてはならない種類のことなのだと。だから彼らは何も知らない。 私の生活は表面的にはいつもと変わりなく流れている。 とても平穏に、 とても 規則的に。朝に夫と子供を送り出したあと、いつものように車で買い物に行く。 夫は司会で私たちの住むマンションから車で10分ほどのところに診療所を持っている。彼は歯科大時代の友人と共同でその診療所を経営している。そうすれば 技工士も受け付けも女の子も2人共同で雇えるからだ。 どちらかの予約がいっぱいならもう1人がその患者を引き受けることも可能だ。 夫も友人も腕はいい方だからほとんど何のコネクションもなしにその場所で開業してまだ5年しか経っていない割には診療所はかなり 反映している。どちらかといえば忙しすぎるくらいだ。もっと のんびりやりたかったんだけどな。でもまあ。文句は言えないよと夫は言う。そうね と 私は言う。 文句は言えない。それは確かだ。私たちはまだ若くて貧乏で生まれて間もない子供を抱えていた。私たちが このタフな世界の中で生き残れるかどうか誰にもわからなかった。 でも5年かけてまがりなりにも 私たちは生き残ったのだ。文句は言えない。 借金だってまだ 2/3 近く 残っているのだま。たぶんあなたがハンサムだから患者が押し寄せてくるんじゃないかしら と 私は言う。いつもの 冗談だ。 私がそういうのは彼が全然ハンサムじゃないからだまる どちらかといえば 夫は不思議な顔をしている。 今でも時々 こう思うことがある まる どうして私はこんな不思議な顔の人と結婚しちゃったんだろうまる 私にはもっと ハンサムなボーイフレンドだっていたのに、と。彼の顔の不思議さを、うまく言葉で説明することができない。もちろんハンサムではないが かと言って醜い男というものでもない。いわゆる 味のある顔というものでもないまる 正直に言ってただ不思議としか表現のしようがないのだ まるあるいは捉えどころがないという形容が近いのかもしれない。 でもそれだけではない まるもっと重要なポイントは夫の顔をとらえがたくしている何かの要素 なのだと思う。それを把握すればその不思議さの全体像が理解できるのではないかと思う。 でも私にはまだそれが把握できていないまる 一度 何かの必要があって彼の顔を絵に描いてみようと試みたことがあった。 でも私にはそれができなかったまる 鉛筆を手にして紙に向かうと夫がどういう顔をしていたか 全く思い出せなかった。私はそれで ちょっとびっくりしてしまった。 これだけ長く一緒に暮らしているのに夫がどんな顔をしたいったかも 思い出せないのだ まるもちろん見ればわかる 。 頭にも浮かぶ。でも いざ 絵に描こうとすると自分が何も覚えてないことの 思い知らされるのだ。まるで見えない壁にぶち当たったみたいに、私は途方に暮れてしまうことになる。ただ 不思議な顔だしだとしか思い出せないのだ。そのことは時々私を不安にさせる。 でも彼は世間の大方の人に交換を持たれたし言うまでもないことだが それは彼のような職業にとってとても重要なことだった。 機会にならなくても彼は大抵の職業で成功しただろうと思うまる 多くの人々は彼と会って話ししていると知らず知らず安心感を抱いてしまうようだった。 私は夫に会うまで そういうタイプの人に一度も巡り合ったことはなかった。 私の女友達もみ ん な 彼のことが気に入っている。 もちろん私だって彼のことが好きだ。 愛しているとも思う。 でも正確に表現するならとくに気に入ってはいないと思う。まあとにかく彼は子供のようにとても自然に にっこりと笑うことができる。 普通の大人の男にはそういう 笑い方はできない。そしてこれは当たり前のことかもしれないが、すごく綺麗な顔をして綺麗な歯をしている。僕がハンサムなのは 僕の罪じゃないと夫は言って微笑む。 いつも同じ繰り返しだ まるそれは私たちの間でしか通用しない つまらない冗談だ。 でも私たちはそんな冗談を交わすことによって言わば 事実を確認し合っているのだ 私たちがこうして 何とか生き残ったのだという事実を まるそして それは私たちにとってはけっこう重要な儀式 なのだ。彼は朝の8時15分にブルーバードに乗って マンションの駐車場を出るまる子供を隣の席に座らせるまる子供の小学校は診療所に向かう道筋にあるのだまる 気をつけてね と 私は言うまる 大丈夫と彼は言うまる いつも同じセリフの繰り返しだ 。でも私はそう 口にしないわけにはいかないのだまる 気をつけてね とまる そして夫はこう答えないわけにはいかないのだ。大丈夫 とまる 彼はハイドン だが モーツァルト だが のテープをカーステレオに差し込み フンフンとメロディーを口ずさみながら エンジンをスタートさせる。そして二人は手を振って出て行く。 二人は奇妙なほどよく似た 手の振り方をする。同じような角度に顔を傾け 、同じように手のひらをこちらに向け、それを小さく 左右に振る。まるで 誰かにきちんと振り付けられたみたいだ。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足を、伸ばし、足首を回し、ある日耳から、音が入らないほど、本ばかり読んでいた。三十になる。三十になればわかることだが、 三十になったからといって 世界が終わるわけではない。年を取るのがそれほど喜ばしいことだとは思わないが 、でも年を取って楽になることをいくつかはある。しかし ひとつだけはっきりしていることがある。 それはそれを叱るべき線に沿って維持したいと本気で望むなら、 それなりの努力は従わなくてはならないということだ。 かつて すらりとした美しい女性だった。でも残念ながら今ではそうではないまる 私は母のようになりたくないと思う。泳いだ後 午後の残りをどう使うかはその日によって違う。駅前に出てぶらぶら と ウィンドウショッピングをすることもある 。あるいは家に帰ってソファーに座って本を読み 、FM 放送を聴き、そのままうとうと眠ってしまうこともある。やがて 子供が学校から帰ってくる。 私は子供の服を着替えさせ おやつを与える。 子供はおやつを食べ終わると外に出て行く。 友達と一緒に遊びに行くのだまる まだ2年生だから塾にも行かないし 稽古事 もさせていないまる 遊ばせておけばいいんだと夫は言うまる 遊んでりゃ 事前に大きくなっていくんだ とまる 外に出て行く時気をつけてね と 私は言う。大丈夫と子供は答えるまる夫と同じだ。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足の裏がくすぐったい。首を回し、つまり、おおまかに言えば、毎日だいたい同じことの繰り返しだった。私は日記のようなものをつけていたが、 二、三日つけ忘れるともう、どれがどの日だったか区別がつかなくなってしまった。何という人生なんだろうと 時々思う。それで虚しさを感じるというのでもない。私は単に驚いてしまうだけなのだ。昨日と一昨日の見分けもつかないという事実に。そういう人生の中に自分が含まれ、 飲み込まれてしまっているという事実に。自分のつけた足跡が、それを認める暇もなく 、あっという間に 風に吹き払われているという事実に。そういう時、私は洗面所の鏡で自分の顔を眺める。十五分ぐらい じっと見ているのだ 。頭をからっぽにして、何も考えないで。自分の顔を純粋な物体として まじまじと見つめる。そうすると、 私の顔はだんだん 私自身から分離していく。ただ純粋に同時存在するものとして 。そして私はこれが 現在なんだと認識する。足跡なんか関係ない。私はこうして今 現実と同時に存在しているのだ 。それが一番大事なことなんだと。でも今では私は眠れない。私は眠れなくなったから日記をつけるのも やめてしまった。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。しんどい。足首を回し、何ページか読んでから本を閉じて外からの入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、大学生の頃に、一度不眠症のようなものにかかったことがある。「ようなもの」と断るとは、その症状が世間一般に不眠症と呼ばれているものに合致するのかどうか確信が持てないからだ。病院に行けばそれが不眠症であるかないかくらいはわかっただろう。でも私は、行かなかった。病院に行ってもたぶん何の役にも立たないだろうと思ったからだ。そう考える根拠がとくにあったわけではない。ただ直接的にそう思ったのだ。行っても無駄だろうと。だから私は、医者にも行かなかったし、家族にも友人にもそのことは黙っていた。誰かに相談したら、きっと病院に行けと言われるだろうとわかっていたからだ。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、ベッドや、ソファで、何ページか読んでから本を閉じてこれから先どうするんだと言われ、その「不眠症のようなもの」はつづいた。その一カ月間、私は一度としてまともな眠りを抑えることができなかった。夜になってベッドに入ってさあ眠ろうと思う。そのとたんに、まるで条件反射のように覚醒してしまうのだ。どれほど努力しても眠ることができない。眠ろうと意識すればするほど、逆に意識が覚醒する。酒や睡眠薬を試してみても、まったく効果はない。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、身をよじらせ、ある日外から入り込んで、これから先どうするんだと言われ、明け方に近くなってようやくうとうとできるかなという感じになる。でもそれは眠りと呼べるほどの眠りではない。私は眠りの緑のようなものを指の先に僅かに感じる。そして私の意識は覚醒している。私は仄かにまどろむ。でも薄い壁に隔てられた隣の部屋で、その意識はありありと覚醒し、じっと私を見守っている。私の肉体はふらふらと薄明の中を流離いながら、私自身の意識の視線と息づかいをすぐそこに感じつづけている。私は眠ろうとする肉体であり、それと同時に覚醒しようとする意識である。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、知らずに知らずにまどろむ。意識が知らないうちに私の体から離れていく。世界が音もなく揺らぐ。いろんなものを床に落としてしまう。鉛筆やハンドバックやフォークが、音を立てて床に落ちる。いっそのこと、そのままつっぷしてぐっすりと眠ってしまいたいと思う。でも駄目だ。覚醒がいつも私のそばにいる。私はその冷かな影を感じつづける。それは自分の影だ。奇妙だ、と私はまどろみの中で思う。私は自分の影の中にいるのだ。私はまどろみつつ歩き、まどろみつつ食事をし、まどろみつつ会話をかわす。でも不思議なことに、まわりの誰も私がそんな極限的な状態に置かれていることに気づかないようだった。その一カ月の間に私は実に六キロも痩せた。それなのに、家族も友人も誰一人として気づかなかった。私がずっと眠りながら生きてたことに。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立てない。足首を回し、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと何の役にも立たないので言われ、文字どおり眠りな体は水死体のように感覚を失っていた。そこにあるすべては鈍く、濁っていた。自分がこの世界に生きて存在しているという状況そのものが、不確かな幻覚のように感じられた。強い風が吹いたら、私の肉体は世界の果てまで吹き飛ばされてしまうだろうと思った。世界の果てにある。見たことも聞いたこともない土地に。そして私の肉体は私の意識と永遠にはなればなれになってしまうのだ。だから私は何かにしっかりとしがみついていたかった。でもあたりを見わたしても、しがみつけるようなものはどこにも見あたらなかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、言われ、夜になると、激しい覚醒がやってきた。其の覚醒の前では、私は完全に無力だった。私は強い力で覚醒の核にぴたりと固定された。その力はあまりにも強力だったので、私にできるのは朝が来るまでただじっと覚醒しつづけることだけだった。私は夜の闇の中で目覚めつづけていた。ほとんど物を考えることさえできなかった。時計が時を刻む音を聞きながら、夜の闇が少しづつ深まり、そしてまた淡くなっていく様子をただじっと見つめていた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、日射しが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと何の外的な要因もなく、まったく唐突にそれは終わってしまったのだ。私は朝食の朝で突然気が遠くなるような眠けを感じた。そして何も言わずに席を立った。何かをテーブルから落としたような気がする。誰かが私に問いかけたような気がする。でも何も覚えていない。私はよろけるようにして自分の部屋に行って、着替えもせずにベッドに潜り込んで、そのまま眠り込んでしまった。そしてそれから二十七時間こんこんと眠った。母が心配して何度も私を揺さぶった。ほっぺを叩きまでした。でも私は起きなかった。二十七時間 ぴくりとも目覚めなかったのだ。そして目が覚めたとき、私は以前の私に戻っていた。 もとどおりの私に。たぶん。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、ある日これから先どうするんだとどういう理由で不眠症になったのか。そして それがどういう理由で突然治ってしまったのか。私には分からない。それは風に吹かれて遠くからやってくる分厚い黒い雲のようなものだった。その雲の中には、 私の知らない不吉なものがたっぷり詰まっている。それがどこからやってきて、どこに去っていくのか、誰にもわからない。でもとにかくそれはやってきて、私の頭上を覆い そして去っていったのだ。しかも今 私が眠れないというのは、それ とは全然違う。何から何まで違う。私はただ単に眠れないのだ。一睡もできないのだ。でも眠れないという事実を別にすれば 私は至極 まともな状態にある。全然眠くないし 意識はとてもクリアに保たれている。むしろ 普段以上にクリアだと言ってもいいくらいだ。体にも何の変調もない。食欲もある 疲労も感じない。現実的な観点から言えばそこには何の問題もない。眠れないということだけなのだ。夫も子供も私が十七日間にわたって一睡もしていないことにまったく気付いてはいない。私も何も言わない。何か言うと、病院に行けと言われるだろうから。そして私には分かっている。病院になんか行っても無駄なのだと。睡眠薬を飲んで解決するようなことはできないのだと。だから眠れないことは誰にも打ち明けていない。昔の不眠症の時と同じだ。私にはただ単にわかるのだ。これは私が自分ひとりで処理しなくてはならない種類のことなのだと。だから彼らは何も知らない。 私の生活は表面的にはいつもと変わりなく流れている。 とても平穏に、 とても 規則的に。朝に夫と子供を送り出したあと、いつものように車で買い物に行く。 夫は司会で私たちの住むマンションから車で10分ほどのところに診療所を持っている。彼は歯科大時代の友人と共同でその診療所を経営している。そうすれば 技工士も受け付けも女の子も2人共同で雇えるからだ。 どちらかの予約がいっぱいならもう1人がその患者を引き受けることも可能だ。 夫も友人も腕はいい方だからほとんど何のコネクションもなしにその場所で開業してまだ5年しか経っていない割には診療所はかなり 反映しているまる どちらかといえば 忙しすぎるくらいだ。僕としてはもっと のんびり やりたかったんだけどな まるでもまあ。文句は言えないよと夫は言う。そうね と 私は言う。 文句は言えない。それは確かだ。診療所を開くために、銀行から最初に予想していた以上の額の借金をしなくてはならなかった。司会の診療所 というのは多額の設備投資を必要とする。 そして競争は過酷であるまる診療所を開けば 翌日から どっと患者が押し寄せてくるというものではない。 患者がつかなくて潰れた歯科医院だっていっぱいある。診療所を開いた時 私たちはまだ若くて貧乏で生まれて間もない子供を抱えていた。私たちが このタフな世界の中で生き残れるかどうか誰にもわからなかった。 でも5年かけてまがりなりにも 私たちは生き残ったのだ。文句は言えない。 借金だってまだ 2/3 近く 残っているのだま。たぶんあなたがハンサムだから患者が押し寄せてくるんじゃないかしら と 私は言う。いつもの 冗談だ。 私がそういうのは彼が全然ハンサムじゃないからだまる どちらかといえば 夫は不思議な顔をしている。 今でも時々 こう思うことがある まる どうして私はこんな不思議な顔の人と結婚しちゃったんだろうまる 私にはもっと ハンサムなボーイフレンドだっていたのに、と。彼の顔の不思議さを、うまく言葉で説明することができない。もちろんハンサムではないが かと言って醜い男というものでもない。いわゆる 味のある顔というものでもないまる 正直に言ってただ不思議としか表現のしようがないのだ まるあるいは捉えどころがないという形容が近いのかもしれない。 でもそれだけではない まるもっと重要なポイントは夫の顔をとらえがたくしている何かの要素 なのだと思う。それを把握すればその不思議さの全体像が理解できるのではないかと思う。 でも私にはまだそれが把握できていないまる 一度 何かの必要があって彼の顔を絵に描いてみようと試みたことがあった。 でも私にはそれができなかったまる 鉛筆を手にして紙に向かうと夫がどういう顔をしていたか 全く思い出せなかった。私はそれで ちょっとびっくりしてしまった。 これだけ長く一緒に暮らしているのに夫がどんな顔をしたいったかも 思い出せないのだ まるもちろん見ればわかる 。 頭にも浮かぶ。でも いざ 絵に描こうとすると自分が何も覚えてないことの 思い知らされるのだ。まるで見えない壁にぶち当たったみたいに、私は途方に暮れてしまうことになる。ただ 不思議な顔だしだとしか思い出せないのだ。そのことは時々私を不安にさせる。 でも彼は世間の大方の人に交換を持たれたし言うまでもないことだが それは彼のような職業にとってとても重要なことだった。 機会にならなくても彼は大抵の職業で成功しただろうと思うまる 多くの人々は彼と会って話ししていると知らず知らず安心感を抱いてしまうようだった。 私は夫に会うまで そういうタイプの人に一度も巡り合ったことはなかった。 私の女友達もみ ん な 彼のことが気に入っている。 もちろん私だって彼のことが好きだ。 愛しているとも思う。 でも正確に表現するならとくに気に入ってはいないと思う。まあとにかく彼は子供のようにとても自然に にっこりと笑うことができる。 普通の大人の男にはそういう 笑い方はできない。そしてこれは当たり前のことかもしれないが、すごく綺麗な顔をして綺麗な歯をしている。僕がハンサムなのは 僕の罪じゃないと夫は言って微笑む。 いつも同じ繰り返しだ まるそれは私たちの間でしか通用しない つまらない冗談だ。 でも私たちはそんな冗談を交わすことによって言わば 事実を確認し合っているのだ 私たちがこうして 何とか生き残ったのだという事実を まるそして それは私たちにとってはけっこう重要な儀式 なのだ。彼は朝の8時15分にブルーバードに乗って マンションの駐車場を出るまる子供を隣の席に座らせるまる子供の小学校は診療所に向かう道筋にあるのだまる 気をつけてね と 私は言うまる 大丈夫と彼は言うまる いつも同じセリフの繰り返しだ 。でも私はそう 口にしないわけにはいかないのだまる 気をつけてね とまる そして夫はこう答えないわけにはいかないのだ。大丈夫 とまる 彼はハイドン だが モーツァルト だが のテープをカーステレオに差し込み フンフンとメロディーを口ずさみながら エンジンをスタートさせる。そして二人は手を振って出て行く。 二人は奇妙なほどよく似た 手の振り方をする。同じような角度に顔を傾け 、同じように手のひらをこちらに向け、それを小さく 左右に振る。まるで 誰かにきちんと振り付けられたみたいだ。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日射しが外からの入り込んで、くじけ折れて人から「何か、ココは、ケモノの住処か」と言われるほどごちゃごちゃした部屋でいくつかの本を読み終わった後で、おにぎりを食べてぐったり昼まで寝ていただいたい人からとかく出しゃばりだと言われてきた私ですが、

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んでりました。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。唾をためずに呼吸したせいで口の中はカラカラだった。ケモノの住処か」と言われるほど汚い部屋でネットを見たり冷たい汗をかいて夕凪にため息をつく今日この頃です。寝苦しい夜半、ふと虫の声を耳にすることがあります。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、夕べの涼たけなわの今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、日差しが強くなりました。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、みんなと同じようなことができない外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと何とも言えない気持ちでともだちも金もない惨めな人生について考えた。僕の望むこと といえば誰かに愛され みんなと同じように生きていくことだけだ まる 大それた 望みではないはずだ まるおやつをこらえきれなくなった。今年は例年にない水不足で、一雨がうれしく感じられます。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、かえって体によくないようです。明日から三日ほど、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと顔を洗って、心もち日ざしが和らいでまいりました。

 

私私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、足首を回し、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、うめき声を上げる、一ヶ月ほど、何か、入ってすぐに目に入るのは、くつ下やTシャツ、それに枕の上に放り投げられたゴミ袋だった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。冷え切った足首を回し、外から入り込んで、ある日これかそっと手足を伸ばすまる 足の皮膚がザラザラしているのがわかるまる 右耳が机の上でちゃんと 平らになっているか 折り曲がっていないかどうか確認する。 目を大きく開く。何も見えない まるまる窓も見えない。いくつも転がり、その間には使い古されたペンや紙くずが散らばっている。机の上には開いたままのノートがあって、ペンがその横に転がっていた。窓際にはカーテンが乱れてかかり、隅には使い終わった飲みかけのコーヒーカップが置かれたままだった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと洗面台で顔洗って暗めの色合いの厚手の靴下が、まるで床をカバーするように広がっていた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。混在してくつ下はくしゃくしゃになっており、他の衣類や書類の間に挟まっていたり、折りたたまれた洋服の上に投げられていたりした。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。冷めなかった。人出で賑わう町がまるで他人の目線 をかけて 眺めているみたいにぼんやり霞んで見えた。 行き交う人々が皆 仮面をかぶってるような気がした。 耳に綿が詰まっているみたいで音はよく聞こえなかった。 町中に光が溢れていて夢を見ているみたいだった。乱雑さや整理整頓の欠如を物語っていた。それぞれのくつ下は主の行動や気持ちを反映しているかのように、部屋のあちこちに姿を現していた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。よくよく考えると、ベッドからずり落ちてばかりいた。寒さが 足先から登ってきて 何度も目が覚めた。そのために僕は手を伸ばして壁がどちらにあるか確かめた。 明け方 窓が明るんでくるとテーブルが闇から浮き出てきた。まずまず テーブルの足から天井の輪郭も明らかになってきた。突然朝だった。まばゆい陽光が部屋に差し込んだ。まるで窓ガラスと汚れが落ちたみたいに。じっと動かない家具や 暖炉に食えた紙切れの燃えカス や窓に引っかかっているブラインドの 羽根板が目に入った。洋服の下敷きになっていたり、机の角に引っかかっていたりした。靴下の中には片方だけのものもあり、ペアが揃っていないことが目立つ。明るい色や暗い色、ストライプ模様や無地、さまざまなデザインのくつ下が混在していた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。足首を回し、立ち上がると頭がくらくらする。でもこのめまいはじきに収まる。陽光が立ち 差し込める朝は ベッドから舞い上がった埃が一瞬、雨粒のように輝く。 前日の水垢でメモリのような筋のついた 洗面器をバケツの上に乗せる。 そして足を大きく開き 身体を深く祈って 顔を洗う。まるで主の心情や生活環境をそのまま映し出しているかのようだった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。くじけ折れてまるで暴風雨のあとのように散らばっている状態だ。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。昼まで寝ていた窓の外からの日差しを乱雑な色とりどりのパズルピースのように床に散らばっていた。一部はクッションの上に投げられ、また別のものは机の角に引っかかっていたり、カーテンの下に隠れていたりした。その中には片方だけでなく、ペアのくつ下が揃っていないものもあり、色や柄もばらばらだった。青や赤、緑や黄色のくつ下が、見る者を混乱させるように広がっていた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。目を閉じる。外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと一つのくつ下がベッドの下から顔を出していたりして、その奇妙な配置に笑いを誘われたりする。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ちょっと休み中くつ下とゴミしかない部屋空の飲み物のカップが乱雑に並び、その隣には不明瞭なメモが貼り付けられたままだ。窓際にはカーテンが閉ざされ、汚れた窓ガラスからは外の光がかすかに差し込んでいる。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。コーヒーカップや空き缶の山だ。その中には一見すると意味不明な配置が見られ、部屋全体が何かしらの物語を語っているようだった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドや、空き缶の山だ。その中には一見すると意味不明な配置が見られ、部屋全体が何かしらの物語を語っているようだった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだとポスターや古びた絵が無造作に貼られ、その周りにはほこりまみれの書籍や古い雑誌が山積みになっていた。床には着古した衣服やくつ下、使い捨ての食器が散乱し、その間には空き缶やペットボトルが転がっていた。部屋の隅には未開封の宅配便や折りたたまれた布団が放置され、窓際には閉ざされたカーテンが不気味に垂れ下がっていた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、日ざしが、足首を回し、ペットボトル、 ティッシュ部屋の空気は重く、煙草の臭いや放置された食べ物の腐った匂いが漂っていた。机の上には散らばった書類や使用済みのティッシュが散乱し、その横にはカップラーメンの空き容器が放置されていた。コンピュータの画面は常時点灯し、静かに何かしらの音楽やゲームの音が響いていた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、外部からの刺激や自己管理の欠如が生み出した閉塞感が漂っていた。この荒れ果てた部屋は、その住人の心の在り方を如実に物語っていた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。ベッドで、足首を回し、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと机の上には散らばった書類や本が無造作に積み重なり、その一部は床にまで広がっていた。壁にははがれかかったポスターやほこりまみれのメモが貼り付けられ、窓際には風に揺れるカーテンがかすかに光を取り込んでいた。

私は、ひどく口を閉じ、ある日これから先どうするんだと言われ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、煙草の匂いや放置された食べ物の臭いが漂い、かすかに流れる音楽や、テレビから漏れる無意味なニュースだった。この荒れ果てた空間は、まるで都市の暗い裏通りに立ち込める不穏な雰囲気を感じさせる。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、その一部は床にまで広がっていた。壁にはポスターやメモが貼り付けられ、一部ははがれかかっていたり、汚れていたりした。窓際にはほこりまみれのカーテンが風に揺れ、外の光がかすかに差し込んでいた。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、時折聞こえるのは遠くでかすかに流れる音楽や、テレビから漏れるニュース番組の声だった。この荒れ果てた空間は、まるで都市の暗い裏通りに立ち込める不穏な雰囲気を感じさせる。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、閉ざされた環境の中で漂う生活臭があたり一面に広がっていた。部屋の片隅には未開封の宅配便が積み重ねられ、床には散らばった書籍やゲームのケースが見当たらない。一部の場所では、壁や家具に書かれた落書きや汚れが目立つ。部屋全体が暗くて薄汚れた印象を与え、まるで外界から遮断された世界のようだった。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、こんなどうして聲なく、自由なく、威信なく、風采が何もなく、万人を前に怖じ気づいて、ふるえ、尻尾を振る、そういう君を私は視たかったのだ。窓の割れ目を通して、冷たい風が、入り込んで、ちょっと見ただけで覚えられない人の口から人がコソコソ話をしていると覚えられない人の声でさえ、窓の割れ目を通して、 音の波に溶け込み 消失する。窓の割れ目を通して、ただ穀をくいつぶしてぶらぶら怠けることしか出来ない。人は、どのようにして人と、結びつくるのだろうか。彼はその秘密を知りたくて、不安とはまず、人々がどのようにして知り合うのかを考えた。しかし、その場面に自分が参加できるだろうか。彼は社交的でない自分を受け入れることができなかった。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、しばらく(1年か2年くらい)は定職に就かずふらふらと暮らすつもりです。何年か前、

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、どうしていいかわからない人の声ですさえもぐっすり昼までパソコンばっかりして、このところ新聞のあまり読まないし、TVにいたってはほとんど見たいが、オバマの演説だけは。なんだか久しぶりの更新ですが、いま切羽詰まった事情で時給850円の。ちょっとまえ少しバイトを休ん、今から9年前、日夜テレビを賑わす、毎日朝の5時ちょうど、今このブログを読んでいるあなたは、「ジャズ」と聞いた時、何を思い浮かべますか。

 

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、目がくぼみ、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、つい昨日のこと

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、いま、なんともやりきれない気持ちで、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、たまにはエッセイを書いてみましょうか。エッセイは難しいですよ。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ニート生活を始めて早4カ月。

 

しかしボツって辛いよね

 

1年間ブログを継続して、

 

ここ3か月ほど、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、どうしたら引きこもりが治るとか、どうしたら引きこもりにならないのか、はっきりとこれだという答えはないが、なんとなくあーしたり、こーしたりすればいいんじゃないかとは皆ぼんやりと考えている。クリストファーノーランが何でこんなことをしたのか全く意味が分かりませんこれを感じたのはきっと 僕だけじゃないと思いたいたい。

 

 

 

 

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、社会生活はわずらわしいことばかり、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、夏は毎日蝉取りに憂き身をや

 

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、、最近何か、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、今のご時世、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、連日連夜、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、世の中には何とも解しかねる不思議なことが一杯あるが、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、なんとなくパッとしない毎日を送っていると

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、私が子供の頃、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、いま書籍倉庫で、

 

誰しもが、当たり前だと思っていることを疑うことは、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、ぐっすりと元来、怠け者の癖もあって

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、先日、真昼間から茶の間で

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、先行きが不透明な今日この頃、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、何もかも時とともに過ぎていく

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、、何とはなしに夜中のテレビを見ていたら、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、蛇足ですが、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、今からほぼ一年前、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、私事になるが、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、足掛け五年にわたって、

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、毎日朝の五時ちょうど私は時折、暗い気分に落ち込んでいる。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、外から入り込んで、20代を迎えるとともに、

 

たまに、あてもなく、

 

読書の秋、

 

久々の休日で、

 

昔に比べて、

 

ぐっすりと夜遅くにテレビを付けたら、

 

読んで楽しいものの一つに、

 

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく心が、ひどく今も、くじけ折れて、ひどく行き詰まり、ひっくり返っていたら「ココは、ケモノの住処か」と言われてしまうほど、本とくつ下とゴミしかない部屋でベッドで身をよじらせ、パソコンを見たり、本ばかり読んでいるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちで、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、何とも味気ない人生を送っているとと、外から入り込んでくる。ちょっと目にしみる。眩しい。でも其の光をたよりに今も、ちょっと(見苦しい)言い訳をして、引きこもり、くつ下とゴミの山で、ごちゃごちゃした部屋でパソコンでネットを視たりしてるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちで、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

 

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないいろんな本ばかり読んで人から「この先どうするんだ」とか言われるとくじけ折れる、引っこんで、ソファで身をよじらせると言われるほど汚い部屋で、本ばかり読んでるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないので、ベッドや、ソファで身をよじらせある日これから先どうするんだとゴミの山でそうした日を送っていると何かをやろうという気にならないので影のように休息してじっとこんな体たらくで本ばかり読んで「ココは、ケモノの住処か」くじけ折れて人から「「この先どうするんだ」とか言われるとくじけ折れるベッドで身をよじらせる、本ばかり読んでいると言われる気がして、流石にそんなことばかりしていてはいけないという気持ちになって久しぶりにブログでも書こうと、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないのでベッドで冷え切った「この先どうするんだ」と「ココは、ケモノの住処か」引っこんでひっくり返ってソファでゴミとと本がごちゃごちゃした部屋で、引っこんでソファで身をよじらせると言われるほど汚い部屋で、身をよじらせひっくり返っているんだけど流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないので、ベッドで身をよじらせ、引っ込んで「ココは、ケモノの住処か」と言われるほど本がごちゃごちゃした部屋で身をよじらせ、引っこんでいいるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないので、ベッドでと外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、このところ、行き詰まり、身をよじらせぐっすり昼まで寝ていたり「ココは、ケモノの住処か」とか言われるほど、人から「ぐっすり昼まで外からの日射しがココは、ケモノの住処か」と言われ引っこんでひどく汗をかいて児戯に等しい「荒らし回されたごちゃごちゃした部屋で冷たい汗をかいてベッドや、ソファでひっくり返って引っこんでベッドで身をよじらせひっくり返ってパソコンばかり見て、でひっくり返っているんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないのでベッドで、夕べの涼たけなわの今日この頃誰しもが、当たり前だと思っていることができないのでブックオフに行って本ばかり読んで当てもなく荒らし回されたソファや、ベッドで身をよじらせ、テレビを見たり、寝ていたりうするんんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たないのでベッドである日これから先どうするんだと毎日いろんな人から言われ、「ココは、ケモノの住処影」、昼まで寝ていたりと本ばかり読んで何の役にも立たないのでぐっすり昼まで寝ていたりと心が、ベッドや、ソファで身をよじらせる外で、人から「みんな 働いているのになぜ君は働かないの昼までぐっすり寝ていたりと。外で行き詰まり、くじけ折れて、ベッドや、ソファで身をよじらせ人から「ココは、ケモノの住処か」と言われるほどペットボトルとくつ下とゴミの山で、ベッドや、ソファで身をよじらせ「ココは、ケモノの住処か」と言われ冷評され本とくつ下とゴミしかない部屋言われるほど汚い部屋で、しかもなおかつ、ベッドで身をよじらせいくら、引きこもりだとはいえど流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく日ざしが、何の役にも立たないのでひっくり返ってある日これから先どうするんだと、何の役にも立たないので忙しい中でくじけ折れて、ひっくり返ってベッドで身をよじらせる外で、くじけ折れて人から「今の」行くところといえば、人からバカにされ、行き詰まり、ぐっすり昼まで寝ていたりと今も、くじけ折れて、ベッドや、ソファでくつ下とゴミの山で引っこんでソファや、ベッドで身をよじらせ本ばかり読んでどうするんだ」と言われるほどくつ下とゴミの山でちょっと休み中忙しく音の波に溶け込み、消えるほど本ばかり読んでいるのかわからないじっと休み中ネットを見たり、本ばかり読んで、ひっくり返ってごくつまらぬ人生をやり過ご、くじけ折れて休み中今も、ラフな服を着てネットばかり見ているとだらんと過ごし(ネット)ばかり見ていると口だけは一丁前に、本ばかり読んでる私とは違って、どうやって心を、分かちがたく、むすびつけているのかかよくわからなくてちょっと前から、ネットを見たりソファの上で、本ばかり読んでるんだけどが、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。目覚めると、本を読み漁ってばかりだ何の予兆もなく、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだとぐっすり昼までを休み中読んだ本のを浴びて外で、「ココは、ケモノの住処か」とか言われじくじくと胸がいたむ。くじけ折れる。ぐっすり昼まで寝ていたりと行き詰まり、何とも言えない気持ちで卑しいものと見られごちゃごちゃした部屋ちょっと本ばかり読外からの日ざしでひっくり返って寝ていたり本ばかり読んでいたら「ココは何かケモノの住処か」と言うだろうところ狭しと本ばかりの部屋で、くじけ折れた冷たい目で見られてる気がして今も人からくじけ折れた本ばかりのちょっと休み中引っこんでぐっすり寝ていたり、ひっくり返ってじっと休み中ネットを見たり、ソファで本ばかり読んでいるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。日ざしが外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと我ながら思ってしましたたくさんの本の山でくじけ折れて行き詰まりひどく外でくじけ折れて、ぐっすり昼まで寝ていたり「ココは、ケモノの住処か」と言われるほど何とも言えない気持ちで引っこんでソファや、ベッドで身をよじらせちょっと休み中ソファでひどく汗をかいてただ本ばかり読んでいたら「何か、ココは、ケモノの住処か」と言われるほど汚い部屋で、、引っこんで音の波に溶け込み人の声さえも、消えるほど本ばかり読んでいるのだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の元気もないので「この先どうするんだ」と言われちょっと(見苦しい)言い訳をした本ばかり読んで日ざしを浴びせています「ココは何か、ケモノの住処か」冷たい汗をかいて(ひどく)バカにされぐっすり昼まで本ばかり読んで外からの日ざしを浴びて寝ていたりとしが。いじけて、引っこんで忙しい中、ちょっと口を閉じて、今も、冷たい汗をちょっとベッドでかいて今も、、心がひしゃげる(うまく)辛くてむりだと叫んでいる、ゴミとベッドしかない部屋で、このところ、引っこんで本ばかり読んで休み中はネットを見たりしてるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、ひどく、何の役にも立たない。本ばかりの山で。何の予兆もなく、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと聞かれまるで何もしないいくつかのくつ下とゴミの山で冷たい汗をかいてベッドで身をよじらせ、ちょっと今も、何とも言えない気持ちでちょっと今も、パソコンをじっと見たり、引っこんで本ばかり読んでいてるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

なんていったらええんかな。例えばある一人の人間が、そいつがある日、電柱に向かって「先生 」と叫んだとする、で、あとでそのおっさんがなぜ電柱に「先生」と叫んだのか「さあ、考えてみよう」みたいな、そんな映画なのだ。オッペンハイマーは、だから見た後は「え」っ と思う。オッペンハイマーというを どういう風に、捉えて良いかわからず混乱してしまった 。

なんていったらええんかな。例えばある一人の人間がいて、そいつがある日、電柱に向かって「先生 」と叫んだとする、で、あとでそのおっさんがなぜ電柱に「先生」と叫んだのか「さあ、考えてみよう」みたいな、そんな映画なのだ。オッペンハイマーは、だから見た後は「え」っ と思う。オッペンハイマーというを どういう風に、捉えて良いかわからず混乱してしまった 。まあ要するにオッペンハイマー は、ヒトラーが自殺した後で日本に核兵器を投下することになって後で人生で、そのことを反省するんですね。で、ラストでこの映画はそういうオッペンハイマーを糾弾するんです。 どういうことかというと原爆の被害をオッペンハイマーは投下する前から知っていたはずなのに、なぜそれに異を唱えなかったのかというのでラストでこの映画はオッペンハイマーをバッサリ斬って捨てるわけ、で、ラストにバッとそれを提起してエンディングが流れて終わるわけ。で、まあそのときは僕は、そこまで深く考えてなかったからこういう映画もあるんかなぐらいだってたんだけどこの映画、 原作があるわけ、で、これを読んだら、やっぱりこの映画、ダメなんじゃないか って思ってしまったわけよ。どういうことかというとですねオッペンハイマーが原爆投下に対して異を唱えなかったのはオッペンハイマーが口で語っているんですねそれは彼がノンポリで政治に全く無関心で、その時に日本が降伏を模索しているということを知らなかったからってそういう言い訳をしてるんですでもこの部分が、このノーランの映画では、全く描かれないわけ。例えば、ある悲劇 をボカして描くっていうはよくある手法で、 責められるポイントではないと思う。問題はこの映画の最大の欠陥は現実に存在したオッペンハイマーですら広島と長崎の被害に戦後向き合ったにもかかわらずなぜ映画ではそれより劣化した広島と長崎の現実に向き合わないオッペンハイマーが描かれているのかというところなんです。なぜこんなことをクリストファーノーランがしたのか、ちょっとよくわからんのだ。例えば、オッペンハイマーではないアメリカの高官がどういう政治決定で日本に原爆を落としたのかがそこが全く描かれない(トルーマンなんか最後の方にちょっと出てきただけ)。で、それに対して こういう反論がくるかもしれない。トルーマンなんかオッペンハイマーの一人称 だから描けないだろうって。いや、でもですね。戦後になってオッペンハイマーが頭の中で その経緯を疑似回想することでできたはずなんですよ。実際オッペンハイマーはそれを知るわけですからね。でも このノーランは、それすら描かない。だからオッペンハイマーが何で急に反省し始めたのかよくわからないそこがわからないから電信柱に向かって「先生」と叫んでるへんなおじさんみたいになってるんです。でこれ 原作読んだ人は必ず「え」ってなるところだと思うけどこの映画ボブ サーバーとフィルモリソン がほとんど描かれてないわけ。彼らは、オッペンハイマーの同僚で、原爆が落とされた後に視察をしてアメリカに帰って、オッペンハイマーとかに広島の現状を説明した人なわけよ。それでオッペンハイマーがだんだんと自分のやらかしたことのひどい過ちを知っていくというのが原作のキモだったのにそこが描かれてないわけ。だから何でオッペンハイマーが急に非人道性を訴え始めたのかがよくわからない。で、それに対してはこういう反論がくるかもしれない。つまりオッペンハイマーはそういう人間だ、と、つまり、ノーランはそうやってオッペンハイマーの独善的な世界を、描きたかったのだとそういう反論が、あるだろう。でもかりにもしそうであればそれは完全にうまくいっていないと言わざるを得ないのだ、というのも、ちょっと前に「この世界の片隅に」を批判した時もそうだったんだけど、 もし仮にそういうことだったならそれはすべきではなかったなぜならそれをすることでなぜ人が心ならずもひどい過ちに手を染めてしまったのかということを教訓として活かせないがゆえに同じ過ちをもう一度繰り返すことに加担してしまうことだからです。もしそういうことが描きたかったのであればそれをラストに突きつけて答え合わせをしなきゃならないはずなのにそれをやらずに映画が、終わるというのはなぜそのような状況にオッペンハイマーは追い込まれたのかということを軽んじることである。それは、よくないことだと思う。だからそこをもっと描かないといけなかった。そういう意味ではぜひとも読んで欲しいのがギュンター アンダースの「橋の上の男」でアレはそういった問題について提起しているのでコレを、読めばよりノーラン映画の足りない部分が、手に取るように分かりるのでおすすめですギュンター アンダースはドイツの哲学者で、この人はずっと広島のことを考えててでこの本で何が言われているかというと核兵器の最も恐ろしい問題というのはその威力ではなく人間が一本のネジとして冷血で非人道的なシステムに知らず知らずのうちに加担させれ、其の結果、いつなんどき責任がないのに責任を負わされるかもしれないシステムそのものだと言ってるんです人間が無知な状態に追い込まれ後で「何に関与していたのか私は知らなかったのだ」という言い訳をすることで虫一匹殺せない人間が大量虐殺を犯してしまうシステムの恐ろしさを描かないといけないのに、そこをノーランは、何も描いてないのだ。それを描かないかぎりかぎりまた人間は、同じ過ちを繰り返すんだから本来ならそういうとこを入念に掘り下げるべきだったんじゃないの。 オッペンハイマー という映画を見て致命的な欠陥というか足りないなあと見ていてなんとなく感じた 。