村上春樹の短編集がスゴイ。「女のいない男たち」を読む。

 びっくりすることに、ちょうど一年なんである。今年で。春樹レビューから。もうそんなたつのかよ。この一年、ハルキ特需に沸いていたといっていいほど、春樹バブルのいざなぎ景気 に、我ながら図々しくのっかってきたと思う。
 今はもうバブルはじけて元にもどっちゃったけど、それでもこんなどうしようもないニートを(たとえ一時でも)世に出させてくれたハルキ、にたいし、今は、万言を尽くしても言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいだ。これからも一生、忘れられない思い出となっていくのだろう。春樹さん、本当にありがとう。

 そんな春樹さんがまた本を出した。

 以前は(読んでもいないのに嫌うような)しょーもないアンチだったが、今は長編をすべて読みつくし、春樹とは何か?と問われれば、のべつまくなしに語れるほど「春樹」を知りつくしている。
 正座し、呼吸をととのえ、「春樹とはなんたるか」をわかった上で、一字一句、読んだ。朗唱するような勢いで。読ませていただいたのである。そして読んだ思ったこと。

 

 

 

女のいない男たち (文春文庫)
 

 

 

 すごすぎる。これはすごい短編集だ。とにかく今すぐに書店へ行け、といいたい。今すぐに読め。春樹わかんないとか、春樹をなめてるやつ。春樹アンチ、そんなやつらの首根っこつかまえて全員一列に並ばせて一人づつボコボコにしてやりたい、とまで思った。そのぐらいすごい。春樹のすべてがここに集約されているといっていい。

 「イエスタディ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」 この5短編が収録されている。「ドライブマイカー」は依然やったのでパスするとして、ほかの短編について、「イエスタディ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」
 前菜といっていいだろう。この四篇は。春樹フルコースの。すごいって言ったけど、正直、この四つはこの短編集の高評価には一役かってないのである。口あたりはいいが物足りない。
 
 たぶんそこらへんのミーハーな村上春樹好きは「イエスタディ」とかがいいとか言うんだろう。だがはっきり言う。イエスタディなんかクソだ。こんなフツーに無難でちょっといい感じの短編なんて、春樹を知り尽くした今では、ぬるさすら感じる。よって「イエスタディ」は圏外。

 「独立器官」は、失恋ものである。モテモテの整形外科医が女に捨てられて死ぬ、という話。
 いっつも思うけどハルキの小説って要約するとほんとすごいよ。「シェエラザード」にいたっては頭のおかしいおばちゃんが好きだった男の子に家に忍び込み、家の引き出しにタンポン入れて帰ってくる、っていうステキな話だし。

 これにいつもの春樹のおしゃれアイコンが味付けされ、どれもこれも、毎度おなじみの春樹さん、といった味わいには、なっていると思う。

 しかし個人的ワースト1は「木野」だな。なんだこれ。いやほんとなんだこれ。妻と離婚した孤独なバーテンダーが、レコードかけたり、たまに客の女とセックスしたりして、あるとき旅に出かけて、その旅先で寂しさにかられてウィスキーとか飲んだりしながら、最終的になにするかっていうと、
 「泣く」っていう話。いやもうほんと、これが一番ひどいわ。なんでこんな羊をめぐる冒険と、ねじまき島足して水で割ったみたいな短編、読まなあかんのか。

 いや、しかしここまで叩いてるような感じに見えるが、それでもこの短編集をボクは「大傑作」だと思うわけは、それはこの今までのマイナス評価を一挙にくつがえすとんでもない短編をハルキはラストにもってくるからなのだ。この短編でこの本は一気に、凡百の小説のなかから飛びぬけて、春樹大気圏へと突入し、ひとつの輝かしい星となったのである。
 それは「女のいない男たち」 ストーリーは・・・ない。男のもとに電話がかかってくる。昔の恋人が死んだという知らせ。それを聞いた男が、まぁなんていうか、「嘆く」っていうだけの話。しかし、ここには村上春樹65年の全キャリアのすべてがつまっていると言っても過言ではないとおもう。


 ―――夜中の一時過ぎに電話がかかってきて、僕を起こす。真夜中の電話のベルはいつも荒々しい。―――人類の一員として僕はそれをやめさせなくてはならない。だからベッドを出て居間に行き、受話器を取る。

 

 こういう一文から男のモノローグがずーっと始まるのである・・・。

 

 ―――男の低い声が僕に知らせを伝える、一人の女性がこの世界から永遠に姿を消したことをーーー

 


 恋人が死んだと知らせられる男。

 ・・・しかしそこはやはり春樹的リアクションなのであった。


 ―――純粋な告知。修飾のない事実。ピリオド。


 この一文をみて、すぐに直感した。何かが始まろうとしていると。春気的な、おぞましい「何か」が。火山脈がうごめいた瞬間だった。


 ―――それから相手はそのまま、何も言わずに電話を切った。壊れやすい美術品をそっと置くみたいに。


 そして火の粉のように舞う比喩。


 ―――僕はようやく受話器を置いてベッドに戻ったとき、妻も目を覚ましていた。
 「何の電話だったの? 誰が死んだの?」と妻は言った。
 「誰も死なない。間違い電話だよ」と僕は言った。いかにも眠そうな、間延びした声で。
 
 ―――僕らは暗やみの中で横になり、そこにある静寂に耳を澄ませながら、それぞれに思いをめぐらせていた。


 ・・・ほう

 
 ―――そのようにして、彼女はこれまで僕がつきあった女性たちの中で、自死の道を選んだ三人目となった。

 

 ・・・・死にすぎ。

 

 ―――彼女は――その三人目の彼女は(名前がないと不便なので、ここでは仮にエムと呼ぶことにする)―――どのように考えても自殺をするタイプではなかった。

 

 ・・・ほう。


 ―――だってエムはいつも、世界中の屈強な水夫たちに見守られ、見張られていたはずなのだから。


 ・・・・・・なんだよそれは。


 ―――僕は実をいうと、エムのことを、14歳に出会った女性だと考えている。
 ---たしか「生物」の授業だった。アンモナイトだか、シーラカンスだか、なにしろそんな話だ。

 ---アンモナイトだかシーラカンスだか、その手のものにひそやかに圧倒的に仲介されて。そう考えると、いろんなことがとてもすんなりと腑に落ちるものだから。

 

 アンモナイトだかシーラカンスだか、その手のことを考えると、腑に落ちるらしい・・・。もうわけがわかないから早く病院に行け。

 

 ―――僕は14歳で、作りたての何かのように健康で、もちろん温かい西風が吹くたびに勃起していた。

 
 へぇ。

 
 ―――僕は14歳で、彼女も14歳だった。それが僕らにとっての、真に正しい邂逅の年齢だったのだ。
 ―――でもエムは、いつの間にか姿を消してしまう。どこに行ってしまったのだろう? 僕はエムを見失う。何かがあって、少しよそ見をしていた隙に、彼女はどこかに立ち去ってしまう。
 ―――なんということだ! あれほどエムのことが好きだったのに。あれほど彼女のことを大事に思ってたのに。

 

 消えるエム。いったいどこ行った・・・。


 
 ―――でも逆に言えば、エムはそれ以来いたるところにいる

 

 ・・・・・・・・・・・・どっちやねん・・・・。

 

 ―――僕はいろんな場所から、いろんな人から、彼女のかけらを少しでも手に入れようとする。しかしもちろんそれはただのかけらに過ぎない。どれだけ多くを集めても、かけらはかけらだ。彼女の核心は常に蜃気楼のように逃げ去っていく。

 

 ・・・・・・・・・・


 ―――そして地平線は無限だ。

 

 もう何いってるかさっぱりわかんねーよ。

 

 ―――自分がここでいったい何を言おうとしているのか、僕自身にもよくわからない。

 
  おまえもわかんねーのかよ・・・・

 
 
 ―――そして結局のところ彼女は死んでしまった。
 ―――そして彼女の死と共に、僕は14歳のときの僕自身を永遠に失ってしまったような気がする。


 ほう・・・・。


 アンモナイトシーラカンスがそれを寡黙に見守っている。

 

 ・・・またそれかよ・・・。


 
 ―――女のいない男たちになるのがどのくらい切ないことなのか、心痛むことなのか、それは女のいない男たちにしか理解できない。
 ―――素敵な西風を失うこと。十四歳を永遠に―――、十億年はたぶん永遠に近い時間だ―――奪われてしまうこと。

 ―――アンモナイトシーラカンスと共に暗い海の底に潜むこと。

 

 春樹はどうやら今作で「アンモナイトシーラカンス」をとことん押してくるつもりらしい。

 

 ―――孤独とは落ちることのないボルドーワインの染みなのだ。


 あちゃー。


 ――――ひょっとしたらエムは僕の性器のかたちが美しいことを夫に教えていたのかもしれない。彼女は昼下がりのベッドの上で、よく僕のペニスを鑑賞したものだ。
 インドの王冠についてた伝説の宝玉を愛でるみたいに、大事そうに手のひらに載せて。「かたちが素敵」と彼女は言った。それが本当なのかどうか、僕にはよくわからないけど。

 

 ・・・・・・だんだん読んでるとツラくなってくる。


 
 ―――僕は彼女を抱きながら、いったい何度パーシー・フェイスの『夏の日の恋』を聴いたことだろう。こんなこと打ち明けるのは恥ずかしいが、今でも僕はその曲を聴くと、性的に興奮する。

 

  知らんがな・・・


 ―――パーシー・フェイスの『夏の日の恋』のイントロを聴きながら性的に興奮する男なんて、世界中探してもたぶん僕くらいだろう。いや彼女の夫だってそうかもしれないな。
 ―――パーシー・フェイスの『夏の日の恋』のイントロを聴きながら性的に昂揚する男なんて、世界中探してもたぶん(僕を入れて)二人ぐらいだろう。そう言い直そう。それでいい。

 

  ・・・・・・・頼むから、死んでくれ・・・


 
 ―――1人の女性を失うというのは、そういうことなのだ。
 ―――僕らはまたパーシー・フェイスフランシス・レイち101ストリングズを失うことになる。


 ・・・・・・・・・・・・。


 ―――アンモナイトシーラカンスを失うことになる。

 

 ・・・・・・・・・・・・もうダメだ。死にそう。


 
 このように、もう全編、どこを読んでも、基本的に、なにを言っているのかさっぱりわからないのだが。しかしほとばしるようなパッション、血のたぎり、「熱い感情」はものすごく伝わってくるのである。熱い感情は伝わってくるのに、なにをいってるのかさっぱりわからないって奇跡だろ。
 息次ぐ暇もない。春樹的センスのつるべ打ち。すべての言葉が有効なクリーンヒットなってこちらの生気をうばっていく。ポエニスト春樹の魂の慟哭。あるいは狂気。「春樹たらしめているもの」すべてがここにはある。読んだあとには、敗北感しかなかった。
 
 ・・・一年という歳月をかけ、村上春樹というものと対峙してきたが、とてもじゃないが村上春樹はこっちの器に収まりきる作家じゃなかったのである。
 これを読んで、それを実感した。染み渡るようにそれがわかった。
 春樹的なものが確実に自分の胎内に宿り、脈々と流れ、血肉とかしていくのがわかる。
 
 この春樹と過ごした一年は、おそらくこの先の人生でも、深く刻印され、人生の指針となり、忘れられない記憶となっていくだろう。母なるハルキ。あぁ、我らが偉大なるハルキよ。
 
 村上春樹さん。本当に一年間、ありがとうございました。


 そしてさようなら。また会う日まで。 

 

女のいない男たち (文春文庫)