恋人も居なければ友だちも居ない若者について

  

 なんか、今、自分で自分の人生を振り返る事があるのだが、改めて何というか、自分の成長のなさに気付き、それを痛感する度に、自分で自分が嫌になり、如何に、自分が卑小な人間であるかに気付かされ、今も、すごく落ち込んで 抑鬱になっているのだが。近頃、妙に、心に、差し迫ってくる事がある。あるとき気づいたのだが、自分には気軽に飲みに行くような友達や、恋人がいない。のだ。友達なんて簡単にできると思い込んでいたが、私は、社会に出た後も、友達になれた人が一人もいない。

 

  昨日もバイト中に、仕事場の女性社員に「今日は商品多いですね」とか言われたので、「ぐふふ、そうでふぅね」とかいう、すごい気持ち悪い返答をしてしまった。世間話をするだけで末端に神経が通っていないような返答をしてしまい、人と、うまく、コミュニケーションがとれない。


 「友達幻想」の中で菅野仁が「フィーリング共同体」に慣れ過ぎた人は、職場の人間関係が希薄になる的なことを、書いていたが、私も、近頃、ネットの交流に軸足を移してから職場の人間関係が極度に苦手になり、「無線LANで出会った人」にしか興味が抱けなくなった。

 

 自分の小説がパクられたと思い込み、京アニの本社を放火した「犯人」の気持ちが、実は、ワシは、少し理解できる。つまり人間が被害妄想を持つようになるのは「友達との接触を失う」からなのだ。

 友達との接触を失った人間は、自己評価が異常に高くなり、他者にありのままの姿を突き付けられる事を恐れ、人を避ける(もしくは攻撃的)になるんじゃないか。と思う。

 

 最近気づいたのだが
 ワシは近頃、友達が欲しいと言いながら実は「必要以上に自分に評価を下す人を無意識に避けている」のだ。コンビニで短時間のバイトをし始めたのだが、たまに仲の良かった友人と会う。挨拶しなきゃとは思う。だが、そのとき私は、挨拶もしなければ、積極的に他人のような素振りをしてしまう。友達が欲しいとか思いながら、道端で旧友に会ってもあいさつしない。
 何故か。人から遠ざかれば、同年配の人々に、後れを取っていると言う事実に、直面せずに済むからだ。
 

 

 劣等感に苛まれた人は、他人を直視することもできなくなる。
 いちばん堪えるのは、そういう人間は、益々卑屈になり、自信を失い、そして何もしなくなることだ。今、私は、一日中パソコンばかりいじり、何もしていない単に無気力な人間になりつつある。

 


 30歳になって気づいた事がある。何故、異性に好かれないのか。
 それは性的な魅力とかいう以前に「自己肯定感の喪失」にあるんじゃないか。それが私の最大の悲劇なのではないか
みんな自分に自信がありすぎなんだよ。
私に最も欠けているのは「自信」かもしれない。
 

 


 

 

 

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

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