24歳、夏。自己嫌悪の病にかかる。

 

 世間はノーベル賞受賞で花盛りだが(ハルキは落ちた)最近の私は、気分が暗く、心が、いつも沈んでいる。10月。もう10月。もう秋だ(嘘だろ) しかし私は、まだバイトをしていない。そう。自分でも呆れている。いつまで引っ張るのか。いつになったらするのか。自分でもよくわからない。
 「アルバイトをする」という行為は、私のなかで、そう簡単に整理できない。ひとつのロマン、ひとつの「挑戦」なのである。 まずバイトの基本は、電話。履歴書を書く。そして面接。言ってしまえば、これだけ。だが私の中では、これだけの事が一大イベント。すき家TSUTAYA、コンビニ、郵便局など、様々なバイト先を吟味しては、お店に足を運んでも、チラ見して、素通りするだけで終わったりしている。
 「チラ見」といっても、その眼は実に真剣だ。社員の顔つき、とか、客の入りとか、現場で働いてる人たちの「目の輝き」とか、あと店長の顔の「やさしさ度」などを主にチェックするのだ。店長の顔が怖い。もしくは死んでいる顔つきの社員はバイトにキツそうなので、これはなし。逆に目の輝きが強い。ハキハキしてる社員がいるところは仕事に対する熱意がハンパじゃないので、これも難しい。チェック項目が異様に多い。だからどっちにしろ難しくて、家に帰っては、あー疲れた、よし、今日は、もう寝よう!となる。こんな毎日なのである。これでも私の今の(引きこもりの)現状、何をしても無気力な状態からすれば、かなり「がんばってるほう」なのだ。なぜ無気力なのか。これは、もう自己嫌悪である。自己嫌悪。24歳になって、今の状況を考えると、ものすごい深刻に「ダメ」なんじゃないか、という。この一点。これだけが朝起きると、妄念のように襲いかかってきて、ベッドの深く、さらに深く、そのまま奥底に呑み込まれていく。
 自己嫌悪って「自分が嫌いな人」って定義されてるけど、本当は「自分が大好きな人」がかかる病だ。それも自分の理想が大好き。「こんな自分でありたい」が、頭の中にあって、その理想と、等身大を比べて、自己嫌悪にハマり、呑み込まれる。こんなはずじゃない。「なりたい自分になれなかった」という現実が、朝起きると、毎日のしかかってきて、四六時中グロッキー。アタマの中では「のってる俺、イケてる自分」が華やかにステージ上で踊ってるのに、現実はベッドの上で、老人のように寝たきりで、温野菜とか食べてる、とか。あまりに現実はしょっぱい。私の理想とする24は、こんなん違う。もっと、人から評価される人間だったはずだ。もっと人から必要とされる人間だった。「なりたい自分になれなかった」 この現実が24になった今、重くのしかかり、何をやっても無気力。何をしてもペラペラで腰くだけ。吹きすさぶのは無常の風。そして社会に出たくなさ過ぎて、今、泣いてる。