真央ちゃんはがんばったね、という空気

 

 パソコンが壊れるとすることもないので暇つぶしにテレビばかり見ていました。
 御多分にもれずソチ五輪も見ていたのであります。やはり気になるのは浅田真央ちゃんでありました。
 当ブログを購読している人はお気づきかもしれないが、埋没地蔵の館は裏テーマに「スポーツ撲滅」を掲げています。スポーツというものに学生時代とても苦しめられたので、スポーツがこの世からなくなってしまえばいいな、と恨み骨髄で毎日祈っているぐらい、スポーツのニュース、関連情報、その他スポーツに関する一切のトピックをなるべく目に入れないように細心の注意を払い、スポーツ撲滅のために日夜ああでもない、こうでもないと策を練っているところなのです。
 そんな自分がなぜソチ五輪、そして真央ちゃんなのかというと。
 浅田真央ちゃんを応援したかったから、というのではもちろんなく、真央ちゃん、そして真央ちゃんを応援していたすべての人々を見ながら、はたと、これは自分の人生の新しい指針を見つけたな、と思ったからなのです。
 まずしみじみ思うのは、みんな真央ちゃん好きだな、ということ。真央ちゃんはたしかによくがんばっていた。最後は笑顔だったし、やりきっていた、という感じだった。しかし6位であった。結果としてはかなり微妙である。しかしこの結果を残念がる・・・というスタンスをとっていた朝のテレビ番組はほとんどなかった。
 スッキリなんて開口一番、加藤浩二が「いやー感動しました。(真央ちゃんのがんばりを見ていたら)メダルなんて関係なくなっちゃった」とコメントしていた。「記録より記憶ですよ」とかも言ってた。横にテリー伊藤なんか「いやあもう凄い選手ですよ」と手放しに称賛。というかもうテリー伊藤にいたっては完全に「おじいちゃん」になっていた。孫を見つめるおじいちゃんであった。(そういえばテリー伊藤はAKB総選挙のときも孫を見つめるただのおじいちゃんと化していた。「おじいちゃん」というスタンスで芸能界をうまく泳ごうとしているテリー伊藤が憎い)
 ともあれどの番組も、残念だった・・・とはならず真央ちゃんはがんばった・・・というムードでその場をもり立てようとしていた。(小倉なんか泣いてたぞ)
 今まであまり真央ちゃんのことに関心がなかったボクは、この真央ちゃんに対する並々ならぬ情の入れよう、メディアの発する真央ちゃん愛に取り残された気分だった。しかしそこに真央ちゃんの「真髄」を見たような気がしたのである。
 真央ちゃんはもうスポーツ選手ではなくキャラクターなのだ。いやもっと親密な「親心」というものが介在したキャラクターである。「がんばったね」で暖かく迎えられる選手は真央ちゃんぐらいしかいないであろう。ほかの選手はがんばろうが何しようが結果が出せなかったら総スカンである。後者が(結果がだせなかった)スポーツ選手の正しい在り方とするなら、真央ちゃんのそれは「観客→選手」から「親→子」へと変わっていた。子供がいくら結果が出せなくても「がんばったね」で暖かく情で迎えるのが「親心」なのだろう。6位かぁ・・・と思う心情の行き所を「真央ちゃん」の涙と笑顔ですべて掻き消し。キャラクターは結果を不問に付すほど、「真央ちゃん」はただそれだけであらゆるものを情に流してしまうシンボリックな存在になっていたのである。

 べつに批判したいわけじゃなく、むしろ模範にしたいと思っている。
 ボクもこれから「ドリちゃん」を戦略的に押していきたいと思っている。
 記事のクオリティーとか全然ダメでも、ドリちゃんがんばったね、で結果がうやむやになるステージまで「ドリちゃん」を国民的ポップアイコンまでもっていきたい。そのためにどんな汚れ仕事だってやる覚悟だ。もう結果だけが求められる冷たい社会でやっていけそうにない。そんな社会で生き延びる一筋の光明を日本人の真央ちゃん愛に見たような気がしたのである。