文学夜話第4夜。「星の王子様」

 

 子供の時よりも、大人になるとわかってくる、という類の小説が、この世には、ある。その中でも「星の王子様」は特に筆頭として言及される。子供のときはわからなかったけど、という出だしで星の王子様を語りはじめる人間は、雨後のたけのこのようにいる。みんな子供のときに星の王子に遭遇し、大人になるとなんとなくわかった、らしい。幸い、ボクはこの作品になんの思いれもない人生を歩んできたので、わからないもクソもなかったのだが。ところが最近、星の王子様を、はじめて読んで・・・驚いた・・・。オレ今、25歳なんだ。どう考えても大人である。
 さっぱりわからなかったのだ。ショックだった。おまえ読解力ないよな、とか、よく言われたりするんだけど。まさかこんな中学生向けの児童文学に敗北するとは思わなかった。

 まず・・・星の王子様。どんな話か。みんな知ってるだろうか。簡単に説明すると、パイロットの男の子が、星の王子様から「大人はクソ」という話を聞かされる話だ。もう全編にわたって大人はクソ大人は最悪という大人への痛烈な呪詛(批判()が、散りばめられている作品。
 星の王子様が、かつて、いろんな星をめぐって出会ってきた大人たち、あんな大人、こんな大人、「みんなクソだった」という小噺が今作のハイライトなのだが、私ははっきり言って、この部分が、まったく共感できないのだ。いまひとつ納得いかないというか。まず何を持って「クソ」と断言するのか。その判断基準が、星の王子様によれば、大人は「大切なものが見えてない」のだという。友情とか、愛とかそういう「目に見えないもの」が大人は見えていなんだと言う。

 
 いろんなおっさんがでてくるわけ。酒浸りだったり、王様気取りだったり、そういうおっさんたちを全部一括りにして「たいせつなことは目に見えないんだ」って価値観に沿って、断罪していく姿が、なんか妙に、独善的に見えてしまうんだよ。星の王子様が。

 オレは正直、この大人批判どうも納得いかないのだ。この星の王子様的イデオロギーをすんなり受容できるかできないかで、この小説の印象は違ってくるんじゃないか。
 あと星の王子様のケタ外れの自己中っぷりには本当にイライラした。だから主人公が忙しくしてる時なんかに、「そんなことよりもっと大事なものがあるんじゃない。ほら、見てごらん、花が綺麗だよ」とか言ってくるんだけど、まぁー、なんだろう。ベーシックにうざい。迷惑。あんまりうざいんで主人公が「うるせーあっちいけー」とか言うと、「もう知らない」とか言ってそっぽ向いて、しばらく黙ってたら、おい。王子様、さっきから何も喋ってないぞって王子様のほう見たら、「あ、王子様、泣いてる・・・」。もうね。はっきり言って。すごいめんどくさいよ。この異星人。なんか知らんけどこの異星人、こっちの質問に答えないしな。主人公が死にかけてる時に「ヒツジの絵書いて!」とかいってくるし、自分の思い通りに行かなかったら「泣く」し。全体的に説教くさい上に、他人の生き方とか、他人の価値観を断罪していくところとか、好きになれないんですよね、そういう部分ってけっこう「大人的」じゃないかとすら思った。
 「大切なものは目に見えないんだ」とあんだけ言っておきながら、砂漠の中で必死に王子様が探してるのが「水」だし。それめっちゃ目に見えるやんけ・・・・。こういうことが気になっちゃうのはやっぱり僕が汚い大人になっちゃたのかな。よくわかりませんでした。

 

星の王子さま (新潮文庫)

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