映画「新聞記者」が傑作すぎて泣いた。

  

 先日、安倍政治を執拗に追及する望月記者の「新聞記者」を見て、凄く驚いた。ネット上で結構話題になり、興味を持って見たのだが。実は、私は、最初、この映画に、乗れなかった。というのも、政治に余り詳しくない私は、加計問題や望月氏にも特に深い関心がなく、加計問題や望月氏の映画と言われてもイマイチ、ピンと来なかったのだ。だから見る前は、風刺映画か、と期待値を下げて見に行ったら、見終わった後、

 私は、この映画に、超感動した。近年の日本映画の最高クラスだと思った。だが、この作品の凄さを説明するのはすごく難しいです。

 何がすごいのか。というと。この映画は、一言で言えば、国家が暴走したり不正を犯す時、その原因は何か。を徹底的に考察した映画だ。国家が腐敗する時、その要因が何かを突き詰め、そして最終的に(此処が非常に興味深いのだが)、それは家族イデオロギーである、と断言する映画なのだ。

 まあ。どういう話か、説明するとね。、主人公は、アメリカ帰りの記者なんです、

 で、この記者の元に、ある日、内部情報が流れてきます。この不正情報に国家の不正を感じた記者が、その不正を追ううちに、恐ろしい国家の陰謀に接近するストーリーだ。そして不正に加担するもう一人の主人公として、(若手官僚)が描かれる。

 内容が分かっていくにつれ、安倍政権を皮肉った「映画」だ、と思う人もいるかもしれない。だが、この映画は、そんな映画ではない。

 これから見に行く人は是非このシーンに注目して欲しい。一つ目は、自殺した官僚を新聞記者が訪ね、その官僚の妻が、新聞記者映画に官僚のカギを渡すシーンだ。

 国家の不正を目撃した官僚は、マスコミに不正をリークし、国家の内部情報を机に隠した後、自殺してしまう、記者がその官僚の机を鍵で開けようとすると、官僚の妻が(此処に是非注目して欲しい)何故か「家族には見られたくないと思うので」と言って、部屋を出て行ってしまうのだ。実はこの映画で一番重要なシーンはここなのだ。

 そしてもう一つのシーンは、松坂桃李が、妻に「何かあったの」と聞かれ、「オレの事は気にしなくていいから」と言って、はぐらかすシーンだ。ここも重要なシーンなので覚えていて欲しい。

 どういうことかというと、官僚たちは、妻に、本心を、打ち明けられないわけです。何故か。というと彼らは「妻の仕事は家庭を守る事で、男の領分ではない」と思っているからからだ。だから妻は、夫が悩みを抱えている事が分かっても、夫の変化を、静観するだけで、助けようとしない。だから夫が不正に関与した書類を見ようとしても、部屋を出て行ってしまうのである。

 この映画は、国家の不正が描くと同時に、家族の「歪性」も描かれる。

 

 実は、この夫婦は、お互いを支え合いながら、互いが被っている危害を正す義務を感じていないのだ。

 夫婦の機能とは何か。私は、不幸のおすそ分け、だと思う。不幸を分担させ、(リスク)を分散させる。これが夫婦の本来の機能だと思うが、しかしこの夫婦は、お互いの不幸を共有しない。 だから夫は、自分の苦悩を「私的な問題」としか処理できず、追い込まれ、遂に自殺してしまう。妻は夫の異変に気づいても、夫の聖域の問題なので、助ける事ができない。

 

 

 本作は、庶民が、国家に、如何にして「不正に加担させられるか」を描いている所が凄いのだ。

 つまり不正な国家は、不正に直面した一般市民の苦悩それら全てを「私的問題」だとみなすことに力点を置いているだ。不正な国家は、社会が解決すべき問題を「私的問題」だと思わせることで成り立っている。不正な国家は、社会の欠陥を私的問題だと錯覚させ「不正を犯す」からである。

 彼らは善良で、責任感が強い。だが、実はこの「自己責任感が強い態度」こそ、不正を生み出す最大の原因である。と映画は訴える。

 社会が良くなる、社会を健全にする、すべての行動は、他人の義務は、わたしも背負う義務であるという意識から直接生じているからだ。

 

 

人には、役割を超えて、 口を出さなくてはいけない時がある。と映画は訴える。人々が「自分の仕事」(役割)に固執し始めた時に、まさに独裁的な野蛮は始まると映画は警戒を鳴らす。新聞記者は、権力の本質を描いた今年一番の傑作である。現在絶賛公開中なので興味を持った人はご覧あれ。

 

 

新聞記者 (角川新書)

新聞記者 (角川新書)

 

  先日、ネット上で、安倍政治の不正を追及する「望月」記者の「新聞記者」を知った。